富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

澳門日帰り周遊

fookpaktsuen2013-06-01

農暦四月廿三日。昨日は観測史上46年来の最も暑い五月晦日だつた由。今日も朝から酷暑警報。九時のジェットフォイルでZ嬢と澳門路線バスで澳門芸術博物館。Napoleão e as Artes Decorativas: Tesouros de Palácios Imperiaisと題してナポレオンの華麗なる宮廷芸術展覧。マカオでナポレオン?と思ふが、これもLe French Mayの一環。ちなみに欧州から中近東、アフリカに拡大したナポレオン帝国葡萄牙は属領としてゐなかつた。豪華な宮廷芸術だが時計、それも円盤ではなく地球で赤道のあたりに一周24時間の帯状文字盤があり、これが動く仕掛けのが素敵。路線バスで塔石藝文館。Técnicas em Extinção – Fotografia de Jean BaudrillardはLe French Mayではなく第24回澳門芸術節でジャン=ボードリヤールの写真展。フランス代表する現代思想家の一人だがこんな印象的な写真を撮つてゐたとは恥ずかしながら知らず。路線バスで氹仔。芸術博から塔石へのバスからの乗換扱いで市街から氹仔まで0.5パタカ=6円くらいは安すぎ。百年一日の如く百年一日の如くXiolas O Castiçoで昼餉。ご亭主見当たらず(まだ早いか)と麦酒で喉を潤しオリーブ齧りながら白葡萄酒の杯も乾杯〜で待つこと小一時間。フィリピン人のI嬢、昔はウェイトレスだつたが今では立派に女将さん、に浅蜊のソテーだけ前菜に頼み、常連もぽつ/\遅い昼餉に現れるが亭主が現れる気配一向になく女将にステーキ焼いてもらひZ嬢とシェア。赤はSao Miguel Montinho Aragonez Trincadeira Cab Sauv 2011年の半瓶。最近、iPhoneのAppでVivinoなるワインソフト(こちら)で遊んでゐるがワインラベルを携帯のカメラで撮つて勝手にスキャン分析してワインのデータ出てくるのが面白いが、この食肆で普段飲みの2ℓだかの箱ワイン(Adega Cooperativa Do Cartaxo)も箱に書かれた銘柄がちゃんと認識された(当たり前か)。脂身のない薄い牛肉焼くのがこの食肆のランチのステーキだが亭主より女将の作は牛肉の間に薄いパスタとチーズはさまれ、これのほうが美味?とZ嬢とヒソ/\話。メレンゲ焼いたデザートまで二時間半。いつものやうに孫逸仙博士大馬路の大昌超級市場で食材購ふ。一旦市街に戻り榮甡𧐢油荘。三月はオイスターソース生産の時期に早く「昨シーズンのは売り切れ」だつたが今日は在庫あり。Z嬢が入つてゆくと「あ、アンタか」と老主人。日本で「ありがとね」と笑顔。この年齢の人たちの日本語は戦争の歴史。暑いなか漫ろ歩いてゐたが日本から香港に来てゐたM女史が朝、Z嬢に電話くれて「実は今、澳門に着いたところ」と話すとM家も午後遅くに澳門の予定だ、といふので時間見計らい路氹に出来たグランドハイアットホテルに往く。路氹のホテルに入つたのも初めて。路線バスで行くと、そも/\路線バスで来る客なんて想定してゐないから不便(ホテルのシャトルバスが便利)。炎天下少し歩いてハードロックホテル付属のカジノから商場、このホテル、そしてグランドハイアットの商場からカジノ通つて漸くロビーに辿りつくとM家ちょうどチェックイン中。カナダから来てゐるJ刀自も矍鑠、で30階のスイートルームにお邪魔してお茶いたゞく。Z嬢と市街に戻り黄昏れてMacau Soulに。ご亭主D氏曰く昨晩、京都から帰つてきたばかり、と。いゝタイミング。Quinta Do Crasto Douro Reserva 2008年を飲む。マカオソウル出ると見送つてくれたご亭主が「タクシー乗場はそこだよ」と斜め向かひ確かに大三巴のタクシー待合ひあり。普段、タクシー乗る習慣なく知らなかつたがジェットフォイルの時間まで少しタイトだつたのでタクシーに乗る。大三巴からだとタクシーは白鴿巣公園から消防局、鏡湖病院、七叉路!ロータリーから塔石、で東望洋ホテルの丘に上がり……とまるで騙されたかのやうに、でも一方通行ばかりでこんな抜け道ルートあるのかと、たまにタクシー乗車もお勉強。21時のジェットフォイルはプレミアでプレミア席多くY席少ないので一週間前くらゐに予約のときはすでに満席。21:15のチケット確保してゐたがターボジェットプリペイドカード会員特典がどう作用するのかしら、と21時のゲートに。さすがにプレミアにアップグレードしてくれず、普通の便だと特典すぐにY席の座席充てがつてくれるがプレミア号はY席少ないのでぎり/\までこの便のY席券所持客待ちの要あり「ちょっとこゝで待って」とカウンター前で待たされる。出発時間になりウェイティングの長蛇の列に「この便の空席は13席分だから」と14人目からの客は追ひ払はれ2人正規客ぎり/\で来て「あと11名」、でアタシたち優先乗船で「はい9名で確定」と、並んでゐた方ごめんなさい。香港のフェリー乗場の降船客がターミナルに上がるエスカレーター、踊り場でいつ事故が起きるかわからぬ怖さ。
▼横浜にアフリカ各国首脳集め官民揃つて支援でODA1.4兆円、民間含め5年で3.2兆円のアフリカへの経済投資。晋三はグランドホテル泊まり込み。中国に負けじ、だが「10年遅い」か。日本がアフリカ市場蔑ろにしてゐたのではなく、アタシも香港にゐると商社や貿易関係の方に知己ゐるがアフリカで自動車売つてゐた話や地下資源など30年も前の話もいくつも聞き、だとするとけして日本がアフリカ投資、支援してこなかつたわけでなし。たゞ今日々の中国のアフリカ進出規模が甚大。その中国もここ数年、経済大国だから、のアフリカ進出でなく広州のアフリカ貿易商の多さといつたら、もう十年以上前から数万人規模、そして中国は歴史的にも昨日、今日ではなく周恩来のAAバンドン会議の時代からアフリカとの協調路線あり、第三諸国のリーダーこそ中国といふ自負あり。アタシが八十年代始めに初めての北京で一番驚いたことは北京市内でラクダが山と積んだスイカを運んでゐたこと、そしてアフリカ人の多さ。最近の日本のマスコミが中国のアフリカ経済支配をやたら騒ぐが、かうして歴史的に見ると今更何も驚くことでなし。