富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ムラカミイリオモテハルキコ

fookpaktsuen2013-05-08

農暦三月廿九日。夕方から雨空。黒雲が徐々に近づくなか京都B氏とハッピーヴァレー競馬場。何度かボックス席の夕食には来たが食事抜きで、この競馬場に来るのは十数年ぶりのはず。B氏との話題といへば馬もコマンダーチャリーだとかオリエンタルエクスプレスの前年のダービー騎手はドイルだつたとか、まぁ昔話ばかり。今晩はLe French Mayで五月一杯水曜日のハッピーヴァレー開催はフランス祭。何があるのかわからんまゝに一般席に入るとフランス祭でワインだのフランスの小食もあるが何といつても、こゝ数年ハッピーヴァレー競馬場はもはや酒場と化し麦酒園と銘打ち、まぁこんなに西洋人が香港にゐたのかしら、で蘭桂坊の如し。先ずはB氏に前祝ひに生麦酒ご馳走になり返礼にBernard DefaixのChaelis 1er Cru Les Lys 2010年をボトルで購ひ乾杯。蜂蜜のやう。Z嬢来る。かなり雨本降り。久しぶりのハッピーヴァレーの下班馬ハンディキャップレースにそこ/\外れずB氏がQPで600ドルだか当てゝSerafin Pere & FilsのGevrey-Chambertin Vieilles Vignes 08年お振る舞ひに預かる。麦酒園のなかでバルコニーのそれなりの場所確保してゐたので良かつたがポテト洗ふが如く西洋人でびっしり。競馬の馬券買ふ人が競馬場に来なくなつて、ならば歓楽街にしてしまつたジョッキークラブの策略は正解。畏友A君のご両親、馬主H氏夫妻の持ち馬が大雨のなかClass 4のマイル競走に出てオッズは15倍だか。これに応援馬券で四着。三連単は2〜4着。この歓楽街の如き麦酒園での立ち飲み競馬、予想以上に楽しい。銅鑼湾方面のトラムに乗り帰宅。
▼先日のハルキムラカミの京大講演。「僕はごく普通の生活をしている人間。声をかけられると困るからテレビには出ない。僕のことは絶滅危惧種イリオモテヤマネコみたいなものと思って、遠くから観察してほしい」だの「時々腹を立てる読者もいると思う。全部気に入っていただく必要はない。ただ、理解してほしいのは、手抜き無しに書いていること。書いてるときはそれだけに打ち込んでいる。一生懸命やっていると考えてもらえるとうれしい」って還暦も過ぎた大流行作家がよくもこんなセリフをば恥ずかしげもなく口に出来る、とただ/\唖然。ご立派。ムラカミイリオモテハルキコ、学名はMurakaminus iriomoteharukiusか。
▼昨日の信報で林行止専欄があれほど露骨に資本家非難も驚いたが今日の朝日新聞内田樹氏が「壊れゆく日本という国」と題してかなり長文の寄稿。一読に値す。「国民国家としての日本」が解体過程に入った、と。政府が「身びいき」であることをやめて「国民以外のもの」=グローバル企業と化した日本の大企業の利害を国民よりも優先する。

ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、そのつど政府から便益を引き出す企業を「日本の企業」と呼ぶことに私はつよい抵抗を感じる。彼らにとって国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。汚染された環境を税金を使って浄化するのは「環境保護コストの外部化」である(東電はこの恩沢に浴した)。原発を再稼働させて電力価格を引き下げさせるのは「製造コストの外部化」である。工場へのアクセスを確保するために新幹線を引かせたり、高速道路を通させたりするのは「流通コストの外部化」である。

とはっきりと仰る。で政府には使ひ勝手の良い「グローバル人材育成戦略」なるものを要求し「人材育成コストの外部化」は「本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを国民国家に押し付けて利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本的な戦略」。私企業にとつての利益は合理的で正当なふるまひだが「コストの外部化を国民国家に押しつけるときに「日本の企業」だからという理由で合理化する」のがおかしい、といふ。グローバル企業は実体は無国籍化しているにもかかわらず「日本の企業」という名乗りを手放さないのは「『われわれが収益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだ』というロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠だから。そしてすぐに「どうすれば日本は勝てるのか?」という問ひを執拗に宣ふ。「あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰がそのまま日本人の価値と連動していることは論ずるまでもなく自明のことであるかのように」。そして

「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが実際には、これは「同じコインの裏表」である。
国際競争力あるグローバル企業は「日本経済の旗艦」で、だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない、そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け容れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。この本質的に反国民的な要求を国民に「のませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民にのみ込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。

嗚呼……で、さういふ状態に持ち込むために「排外主義的なナショナリズムの亢進」が不可欠で、「だから安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉」だとする。だから「今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう」と、内田先生ってこんなに過激だつたかしら……。それほど社会は切羽詰まったところに追ひ込まれてゐるのだが気がついてゐない人、それどころか晋三のアベノミクスや「強い日本」で<近代の超克>してしまつてゐる民草多いのが何とも……。まるで昨日の林行止とシンクロナイズしてゐるかの如き論調。
▼首相動静。五日に外遊から戻つた晋三は六日、富士のふもとでゴルフのあと午後遅く帰京。夕方、セルリアンタワー東急ホテルの中国料理店で母と妻とで母の日ディナー。晩遅く自宅にギャング麻生来て密談。で七日に閣議のあと皇居で帰国の記帳。休日に帰邦の場合は皇居での記帳は明日以降でも良く記帳前に後楽園での長嶋、松井への国民栄誉賞授与だとか閣議といつた首相としての仕事をしてもいゝのね。
▼元社会党衆院議員で村山内閣で官房長官五十嵐広三先生逝去。トンちゃん内閣は今にして思へば副総理兼外相が河野洋平国家公安委員会委員長野中広務、今では維新に加はつてしまつたが官房副長官園田博之。この村山内閣で初入閣の高村正彦君が八月十五日に靖国神社を参拝の際、五十嵐さんは「いつも温厚で優しい語り口だったが、あの時だけは『閣僚であるあなたが参拝するなら、私人で参拝するんです』と声を荒らげられた」と。