富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

TPPは終った。

fookpaktsuen2013-04-17

農暦三月初八。気温は摂氏27度まで上がるらしいが湿度96%、濃霧でミストサウナにゐるが如し。毎朝、蘋果日報一面の大袈裟な記事、えげつない写真も慣れてゐる、が今朝のボストンマラソンで両足失つた男性の写真は遉がに目を叛けたくもなる(こちら)。車椅子で運ばれる途中だが、足が捥れてゐるだけならまだしも脛で折れた白骨が剥き出し、なるほど筋肉とはかういふ筋の束なのかと納得する筋肉の筋が捩れ……お下劣報道だが他の新聞眺めても遠巻きな写真で蘋果ほどは現場の惨状伝はりもせず。晩に帰宅してテレビつけたら丁度、NHKのNW9 = Nothing to watch 9 の略だとか、の放送開始で三宅島の地震のニュースで始まつた直後に石巻だかで震度5弱の地震。幸ひに被害なし、で津波の心配も要らぬ、と言ひつゝ三十分近く「午後九時過ぎに宮城県北部で震度5弱の地震」と連呼(するだけ)。午後九時台のニュース「バラエティ」番組がNW9だけ、だからの興奮か。それにしても「地震の際は落下物に気をつけて机の下に」とか「怪我をしないやうに注意」とか「海や川に近寄らないやうに」とか、地震知らぬ土地ならマダしも地震大国で何故こんな連呼が必要なのかしら。
▼新聞の映画記事で一瞬、目を疑つた台湾映画『セデック・バレ』4月20日より公開(こちら)。「いま世界が知る」って2011年の映画でヴェネチアアカデミー賞も同年。公開遅すぎ。「……その真実を」だつて霧社事件ですよ、霧社事件*1。日本はこの映画なくても知つておくべき史実だが今の若い人には映画で知る史実かしら。といつてもこの映画「真実」というには日本の軍人と警官が殺されすぎ。実際には侵略者=日本人死者合わせても28人なのだが。この映画の印象ほど原住民は果敢に日本軍に立ち向かへなかつたのが悲しいかな事実。
▼「TPPは終った。」と天木直人先生([http://www.amakiblog.com/archives/2013/04/13/#002555:title=こちら])。

米国は取る物は取った。あとは更なる理不尽な要求を次々と日本に突きつけてくるだけでいい。飲まなければ議会が日本の参加を認めないぞと脅かすだけでいい。その一方で日本は得るものは何もなく、玉虫色で誤魔化した農産物の例外扱いの防戦一方となる。 しかも例外を認めてもらえる保証はなにもない。今度は他の参加国と一緒になって米国は日本を攻めればいいのだ。よくもこんな馬鹿げたTPP交渉に飛び込んで行ったものだ。見ているがいい。今後は敗戦処理の膨大な交渉で日本側は消耗させられていく。そんな交渉を報じる日本のメディアもまた、書くことはない。せいぜい次のように書くのが精一杯だ。
「TPP交渉の勝負はこれから」(読売)
「TPP交渉これからが国益高める本番だ」(日経)
「攻めの姿勢で国益広げよ」(産経)
よくもこんな嘘を平気で書くものだ。すべては日米予備交渉で終った。あとは不毛な敗戦処理である。私がTPPについて語ることはもうないだろう。敗戦処理など見たくもない。TPP騒ぎは終ったのである。

▼都新聞の社会時評高村薫さんを襲つたのが吉見哉也さん。

そして今、一時は盛り上がりかけた脱原発のうねりも、新たなる「夢の経済」へのうねりに飲み込まれつつある。「夢」の心地よさは、麻薬のように感覚を麻痺させる。しかし現在、この麻痺の先にかつてのような経済成長が待っているはずもないことは明白である。一時ばかりの心地よさの中で震災と原発事故の問いが周縁化されるのなら、私たちは断固これに異を唱えなければならない。(社会時評 十六日夕刊)

同じ都新聞で東京で東京と23区の歌全曲披露のコンサート、と記事あり。どの区だつたか唯一、区歌のない区があり、そこはこのコンサートする音楽家が私家版作つた由。墨田区は瀧廉太郎「花」なのが素敵。葛飾区の葛飾音頭は粋。男声は藤山一郎?、女声は誰かしら。高田耕甫作詞、山田耕筰作曲の東京市歌は大正15年で余りに震災後の帝都復興。小沢昭一さんが慎太郎もこの曲を知らず、と子ども扱ひ。この市歌に対して戦時中の無理矢理な「都」化で混乱に都歌作られず戦後あまりに戦後の民主的希望あふれる都歌は昭和22年の制定。これは慎太郎は嫌ひか。どうせなら「東京音頭」が都歌でもいゝのに。




*1:二〇〇四年夏、霧社を旅した日の拙日剰こちら