富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-04-15

農暦三月初六。大気汚染甚し。昨年八月二日に継ぐ劣悪の由。上海の解放日報が「正直无私·坦荡胸怀·光明磊落―怀念胡耀邦」と記事。当局の削除命令も出てゐないやうだがデジタル版(こちら)では微妙に記事面が毀れて記事読めぬやうになつてゐる(呆れる)。日経日曜版の読書欄(朝日に比べて普段、とてもつまらない)読んでゐたら有本真紀著『卒業式の歴史学』書評あり。日本から取り寄せてゐて未読。それにしても、この書評、明治20年代までの小学校は同学年でも年齢にばらつきがあり落第者も多く卒業式は試験行事に組み込まれてゐて喜びを分かち合ふ儀式は難しかつた、明治25年に全国の小学校は4月始業で統一され(これは会計年度に!合はせたもの……富柏村註)このとき3月の卒業式も全国化、更に卒業式は桜のイメージと結合し日露戦争前後、教科書国定制度、同年齢生徒による学級制などが成立……といつた経緯説明のあと

こうして国民化された卒業式は答辞などの朗読や合唱で共通の集団的記憶を立ち上げる儀式となった。念入りな予行演習が繰り返され、観客の前で演じられる卒業式は、確かに近代日本に特有な学校文化である。演出者である教師は成功の証しとして、「涙の共同化」を追求した。そのため卒業式は学校生活の区切や祝いの行事ではなく、「みんなの心を一つにする」教育の成果発表会となった。そこで斉唱される歌は、同じ場所に集まった「私たちの感情」へ捧げるミサ曲だった、と著者はいう。学校儀式における卒業式の比重は、むしろ戦後に高まったようだ。特に、さらなる自主性・主体性の動員を求めた民主的な教師たちは、全員参加の「呼びかけ」式スタイルを普及させた。ここに完成した涙の国民化システムにおいては、使用される音楽がJポップ卒業ソングでもかまわないわけである。

と、ときどきありがちな本書読むより面白い書評ってな感じで、この書評の文章の無駄のなさ、理路整然は凄すぎる……と感心したら佐藤卓己先生……敬服。晩に銅鑼湾の安半に飰す。メールでのやりとりばかりだつた英国N氏と初対面でご相伴。いろ/\此処に綴るに能はぬ椿談を聴く。N氏見送りバーSにハイボール一杯飲み帰宅。
▼TTPについて「譲歩を重ねて経済面のメリットがぼやけるなか、首相が前面に出すのは安全保障面のメリットだ。中国の台頭や北朝鮮情勢の緊迫などで、政権はTPPを日米同盟強化の柱に位置づける。首相は12日夕の関係閣僚会議で、こう強調した」と朝日(十三日)。おい/\いつからTTPで安全保障になつたのよ、って最初からそんなことなんだらうけど。農業自給こそ本来、国の安全保障の根幹なのだが。
▼香港で飲食店に酒持参可、チャージなし、といふと驚かれる。最近は葡萄酒流行と飲食店の賃貸高騰経営難=要収益で持込み料徴収る食肆も少なくない。劉健威兄がこれについて酒の持込み料もいゝが何故にグラス割った場合と葡萄酒の二本目、三本目でグラス交換にチャージしないのか、と。込み無料、だが葡萄酒杯割つたらHK$100、グラス交換でHK$10でもとるのがリーズナブルでは?と。御意。
▼「私たちは生まれ育ったふるさとを愛し、道徳心を培ってきた歴史をもつ」と晋三(ふるさとづくり有識者会議、十一日)。父・晋太郎の故郷での葬儀で子どもらが童謡「ふるさと」を歌つて思はず涙腺が緩んだ、とエピソード。それもいゝが、そのレベルで国策にするな、と言ひたい。
▼晋三、来日中のケリー国務長官に「北朝鮮の挑発認めず」と(日経さん)。挑発って認めるとか認めないとかぢゃないでせう、単に挑発は相手の勝手なんだから。記事を読むと「挑発的な言動を繰り返していることは容認できない」と晋三がコメントしてゐて、「挑発的言動を容認できない」を「挑発認めない」と見出しで言ひ換へてしまふのは、さすが所詮株屋と相場師の新聞だ、とつく/\感心。

卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ)

卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ)