富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

新井一二三著『東京故事311』

fookpaktsuen2013-04-14

農暦三月初五。天気も快方に向かひ走るなどすれば良いのだが多少咳も気になり何かと片付かぬことあり机に晝まで机に凭る日曜。午後、油麻地のChinematiqueで永瀬正敏主演の『秋月』(1991年)Z嬢と見る。この年(1991年)永瀬はAsian Beatという作品系列で新加坡、タイ、マレーシア、台湾そして香港と立て続けに作品を発表、ふとNicsとかアジア四龍なんて東南アジア諸国勃興の時代を彷彿するが香港は当然のやうに1997年を前に不安、移民といふテーマで、今になつて思ふと何故にそれに日本人がいち/\関はらないといけないのか?と思へば滑稽だが(さういふアタシ自身も1997年目指し香港に来てしまつたクチ)さういふ思ひ込みの時代で、この映画も自分探しでふらりと香港に来た青年(永瀬)が偶然に香港で家族がカナダに移民する少女と知り合ひ……といふ話で、何だかちょっと濡れ場ありで出来損なひのATG映画みたい(日本では映画館公開なし、でDVD……当時はVCD?発売のみの由)。この少女が祖母と暮らすマンションがアタシの住む陋宅の団地なのは偶然。ふと永瀬正敏って?と思つて調べたらデビューは1983年の相米慎二監督『ションベン・ライダー』で、この91年に山田洋次監督『息子よ』に抜擢……なるほど。映画館出たところにある夏銘記麺家で四寶河粉飰す。油麻地のChinematiqueで周末の午後に映画終はると尖沙咀まで漫ろ歩くこと続く。前回、Dubonnet見つけた食料品店で今日は英国のWincarnisといふジンジャーワイン購入。帰宅して「ところ天」と「ざぼん」が夕食かはり。文藝春秋五月号読む。浜田宏一センセイが藤原正彦幇間ぶりに乗り日銀批判。デフレ不況は全て日銀の所為なら経済的原因による多数の自殺者も殺したのは日銀。エルピーダメモリの破綻も電機メーカー危機も日銀が悪い。まぁこれでアベノミクスで景気回復、円安で、それでも日本の電機メーカー復調しなかつたら(きつと復調なんて無理なんだけど)誰の所為にするのかしら、浜田教授が責任とつてくれるわけぢゃないし(その意味で藤原の数学者から見ると経済学者は誤謬の責任取らぬといふのは正しい)。それに対して榊原英資教授の「TPP敗戦 アメリカ化する日本」が面白い。TPP受け入れ=貿易自由化、拒否=保護主義といふ二項対立の圖弾きが間違ひ、コメなど一部例外除き日本の貿易はかなりの程度で自由化済み。TPPは米国参入の時点で「今後、間違いなく世界経済の中心となっていくアジアの成長の果実を環太平洋という枠組みでアメリカが享受するための経済協定への性格を変えた」もので、実は日本と中国が中心となつて実質的な経済統合が相当進んでゐる東アジアで「アメリカの狙いはTPPという枠組みを大きくしていくことで、ゆくゆくは中国など東アジア勢をも引き込んでアメリカ型の貿易のルールづくりを広く浸透させていくこと」にあるのだが東アジア経済の重要な主役であつた日本はわざ/\アメリカ主導のTPPといふバスに飛び乗つてしまつた、中国や韓国は「日本はいったい何を考えているんだ」と訝るのは当然。完ぺきに民主党自民党も政権を担ふだけの国家経営の判断力もない、といふことになる。今日、Chinematiqueの書店で購つた新井一二三姐の『東京故事311』(台湾・大田出版)読む。311の大地震の日の一二三さんの記述が白眉。大地震のあと中学生と小学生のお子さん二人が無事に学校から帰宅、その晩は鳥の唐揚げにしよう、と思つてゐた、と一瞬、この文章に「そんなこと、この日にだうでもいゝぢゃない?」と思つたのだが、あの311の晩に著者は家族でとにかくご飯をきちんと食べる。それもガスは通じてゐたが余震でさすがに鳥の唐揚げは危ないか、と唐揚げは断念して電子オーブンで鶏を焼いて、味は唐揚げに比べイマイチだけど……と、まだこんな日に食事にこだわる。そして翌日は土曜日、毎週土曜の朝は徹底的に自宅でお掃除日の一二三さんはいつも以上に徹底的に自宅を片付ける。地震で散らかった家財道具、本、徹底的に片付け洗面所まで掃除する。そこまでこの二日間のことを綴つてから彼女は明かす。日常生活の大切さ、生活がきちんと落ち着いてできることの重要性、気持ちの持ちやう……新井一二三は「それを中国人から学んだ」と、そこで鄭念女史の“Life and Death in Shanghai”を挙げる。不覚にも涙腺が緩む迂生。そうか、確かに……と一二三さんがそこから書くことを読むまでもなく何を言ひたいか、がわかる。上海の典型的上流階級の聡明で美しい夫人であつた鄭念女史が反右派闘争と文革のなかで、どんな目に遭ふか……だが鄭念女史の凄いところは、どんな厳しい境遇にあつても、そのなかで執拗にベストな環境を自分に与へることに最大限の努力惜しまず、強制収容された小屋ですら自分に快適な住ひとする。そして精神はどんな弾圧や脅迫にも絶対に挫けぬ……そんな強さ。自分の気持ちのもちやうで、どこでもどんななかでも素晴らしく生きられる、と。そして「温かい食事をとれる」ことの幸せ。とてもよくわかる、これ。香港でも挨拶かはりに「食咗飯mei呀?」普通話なら「吃饭了没有?」と。この「ご飯食べた?」がアタシは個人的にとても苦手で、これに「食べたよ」「これからだよ」と答へるのがつい疎ましく思ふのだが、なにせご飯が食べられるのは当然=そんなこといち/\わかつてゐて尋ねるのも貧乏臭い、と思へなくもない……が、この言葉に含まれる幸せの思ひ。大地震でも、その環境で最大の幸福で家族とご飯を食べる、その「吃饭了没有?」に対する希望……さすが311で一二三さんだ、と彼女に1985年くらゐだつたか仙台で出会ひ、そのあと90年代前半に香港で舎弟ぶり……を懐かしく思ひ出す。鄭念刀自も1990年か91年に香港を訪れ、そのときにランドマーク地下の書店でサイン会ありペーパーバックでボロ/\になつた“Life and Death in Shanghai”にサインしていたゞいた。とても気品がつて奇麗で握手していたゞいて迂生、胸がドキ/\。陋宅の書架のどこかにこの本が眠つてゐる。
▼李柱銘師が「中英聯合破壞聲明」(蘋果)に

英國政府曾承諾會確保中英聯合聲明落實,但民主黨創黨主席李柱銘昨批評,北京拒給予港人真正普選特首,違反中英聯合聲明,英國政府至今「一粒聲都無出」,表現令人失望,抨擊中、英雙方對聯合聲明中答應「港人治港」的承諾視而不見,已將聯合聲明變成「中英聯合破壞聲明」。

つまり「北京の治港政策が中英連合声明に違反することに英国政府が一切コメントしてをらぬ」と非難。かつての香港民主化運動の師がこんなこと宣ふやうぢゃダメ。
▼「戴卓爾夫人沒想到的中國待遇」と信報(11日)英國前首相戴卓爾(サッチャー)夫人の名前は1982年の初めての訪中の前年、湖南省宣伝部門が「査泰莱夫人」と漢字を当てているが、これぢゃチャタレー夫人で外交問題に進展も、と(笑)
▼好きな小説、聞きたい音楽、言語上達に不可欠はその言語への強い思い、と内田樹先生。それのない英語偏重はダメ、と。御意。本当に必要なら否が応でもでも英語覚へる。日本語だけで生きていける、と思つてゐる内は無理なのは当然。

Life and Death in Shanghai

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上海の長い夜 (下) (朝日文庫)

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文藝春秋 2013年 05月号 [雑誌]

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