富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ITをどうか「イット」と読まないで

fookpaktsuen2013-04-04

農暦二月廿四日。小雨模様。少し復た肌寒くなる。陽暦四月四日で清明節。休日だが昨日病ひに臥せて復活祭からの連休で仕事たまり官邸でご執務。晋三が好調なら巨人も開幕から四連勝……不愉快な今日この頃。野球といへば「ダルビッシュ股間抜け、届かず」と昨夕の都新聞……素股か。
▼畏友M氏に香港街道地方指南を二十数年分も保管してゐるなら調べてほしい、といはれたのが1989年当時、九龍(現・紅磡)から羅湖に朝一本だけノンストップの直行で出ていた羅湖エクスプレスといふ列車。1985年の指南(写真左)を眺め「そんなのないですよ」と伝えたら89年当時確かにあつた、とM氏。で88年の指南を確認したら、ありました。週日は朝一本、周末は二本の羅湖エクスプレス……とはいつても1985年当時、36分で紅磡〜羅湖を結んでゐるのに(それが今ぢゃ43分!)この快速が36分ぢゃ全然速くもない、と思つたらM氏「これは国境越えて羅湖まで」と教へられる。それなら速い。おそらく、だが当時、羅湖の越境の混雑は今日の比でなく、なにせ今では粉ミルク2缶で制限されるのに当時は冷蔵庫からカラーテレビまで箱物家電を担いで帰省、或は担ぎ屋も甚だ多く、鶏まで籠で運ばれてゐた時代、羅湖の混雑は想像を絶するもので、その当時に紅磡で出境手続き済ませ中共側の羅湖に入れた、この列車は重宝だっつたはず。
東京新聞「3・11後を生きる」で「世界の春」と題し第2回が香港。今村太郎記者。今年太陽暦元旦のデモから香港市民の気軽なデモ参加で「デモ発生は大小合わせ年に約千件」ってあんまり。日に2.7件のデモ……まさか。たんに警察に何かの道路占拠の届け出か、香港はそんなデモの街でもない。「現在、民主派はさらに大規模なデモを計画している」と、これは「佔領中環」のことらしいが、この計画はまだ泛民主派全体の統一行動、2003年の50万人デモほど市を挙げて、の一大抗力にはなつてゐない。おまけにこの記事でデモ多発を今村記者相手に語るのは泛民主派の李卓人議員。この人が香港の市民代表するのかしら。昨日の人民日報(海外版)に「香港社會熱議喬曉陽「底線說」」と題した評論記事掲載され喬曉陽の主張紹介しつゝ民主党主席劉慧卿女史の反論や戴耀廷の「佔領中環」行動についても言及の由。これはある面、観測気球的で画期的かも。今日の信報で劉銳紹氏がこれを
不排除是中國內部傳播媒界有意見認為,香港泛民的聲音不是異端邪說,因此表面上以批判方式報道泛民言論,實際是將泛民的內容滲透出去,但相信絕對不是該報領導的核心取向。
と、つまりあくまで党中央の主張の押し売りだが批判的にであれ反対派の意見も紹介するのは1987年「反資產階級自由化」でも1989年の天安門事件でもあつたもので、劉氏は今回の記事で泛民主派でも穏健派たる民主党に対して激進化する公民党については一切言及なく、いかに党中央が公民党を敵対視してゐるかの証左、と。御意。本来、民主派が反中央に走るなかで立法會、法曹界の民主派弁護士が中心となつて組織した公民党は中道左派のリベラル路線、と思はれてゐたものが社民連と与するほどのお祭り騒ぎぶりでは党中央もさすがに呆れて言葉もなからう。結局かうして中共が「与えてくれよう」とした香港特区の疑似民主体制が「与へられる」側の自意識過剰で崩壊してゆくのかしら。
▼菅さん(って官房長官ぢゃなくて元首相ね)とか、丹羽さん、白川さん、私の好きな人はみんな時代的には「敗者」となる。