富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

野中、会社やめるってよ

fookpaktsuen2013-03-18

農暦二月初七。さういへばサッカーJリーグ、今季は香港で賭けをしてゐて鹿島アントラーズ応援。開幕から二連勝、で昨日のサンフレッチェ広島戦はさすがに三連勝はないだらう、と引き分けで賭け的にはアタシは三連続的中。香港らしい高温多湿の不愉快な春になる。中近両用の眼鏡行方不明で早四日。レイバンのチタンフレームで半年前に老眼ひどくなりレンズ取り替えたばかり。どこを探しても出て来ず日常に不便甚だしく新たに誂へねばならず。羽田空港国際線ターミナルで金子眼鏡店のフレーム買つておけば良かつた、と溥儀眼鏡店覗くが金子も扱ふがアタシの好きな古典的なフレームは無い。でデンマークリンドバーグが溥儀オリジナルで製造のフレーム。レンズは東京メガネで誂へる。早晩に尖沙咀のジムで5km、トレッドミルで走る。ジムからの景色は抜群のはず、なのに高温多湿と大気汚染で窓の汚れが、これまた不愉快。Austin Aveで馴染みのバーWに麦酒飲み渡船角。Z嬢と待ち合せ好客縁煲仔粥で粥を啜る。皮蛋の腸粉も美味。この渡船角、文字通り、かつては船着き場で香港で艇仔粥といへば此処。粥が不味い筈がない土地。圓方。昨日より第37回目の香港国際映画節で今晩は『桐島、部活やめるってよ』見る。直井賞作家となつた朝井リョウの小説の映画化。エンディングまで映画部の「監督」の彼が神木隆之介だとは名前見るまで気づかず。桐島君が「バレー部をやめる」といふ発端だけで、これだけの物語に出来るのはご立派。(原作は知らぬが)映画は、これを時間軸をいくつもの方向から撮ることで様々な人間模様といふか青春の群像があちこちベクトルも向いてゐて面白く演出してみせたが、筋としては単調。でも青春ってそんなもの。それが素晴らしいわけで。高校でだから「桐島、部活やめるってよ」であれだけみんなが響めき人間関係まで重層的に縺れるが、あれが大人になつてしまふと「野中、会社やめるってよ」でも出世競争からリストラ、脱サラ、ベンチャーから不倫、不正横領、解雇まで何でもあり……の大人社会では「野中、会社やめるってよ」でも「あ、さう」で終はつてしまふから。さういへば昨日の日経の書評欄で水野和夫・大澤真幸著『資本主義という謎』で、この『桐島、……』に描かれてゐる高校生活が資本主義社会の比喩だとか語られてゐる由。教室も格差社会、だが「何だか価値もないものに価値を見出し商品価値高める」きらひもあり、とこの映画見てゐて思ふ。ちなみにこの映画、香港では今回、III級の成人映画指定。何が?と思つたら挿入される三級カルト映画の猥雑な場面……それだけ。
▼日経で「米国を標的に… 中国サイバー部隊の実力」といふ記事あり(こちら)。デジタルでの見出しには「標的は米国の頭脳・正義」なんて文字踊り「頭脳」はまだ判るが「正義が標的?」って何か?と思へば温家寶財テク疑惑特ダネのNY Timesなど米国のマスコミもサイバー攻撃の標的にされたことで

「正義」を標榜する米ジャーナリズムを執拗に攻撃していたのだ。

……って。米国のジャーナリズムが正義かどうか、また中国が攻撃したのは反中共的報道する新聞社であつて「正義」を攻撃ぢゃないだらう。しかも記事の書き出しは「標的は米国の「正義」と「頭脳」だった……」って日経もまったく……まるで週刊現代並み。さすがにデジタル版での見出しは正義と頭脳が、頭脳と正義になつてゐたのはデスクのせめてもの良識か。(嗤)
東京大学姜尚中教授が最終講義「これからの東北アジア」(朝日)。日中韓の域内貿易が「ほぼ欧州レベル」なのにもかかわらず激しい政治対立が残る現状に触れ「そういう場合は望遠鏡を逆さまにしてみた方がいい。小さく見えるから」とかつて加藤周一師に言はれたアドバイス紹介し「東北アジアを「この数十年で変動著しいユーラシア大陸の一部」として位置づけ相対化する視点が重要だ」と強調。丸山眞男の「大日本帝国の『実在』より戦後民主主義の『虚妄』に賭ける」といふ名台詞を引き「私は東北アジア共同体の虚妄に賭ける。虚妄かもしれない。でもこれからの10年、これに賭けてみよう。そう思っています」と結んだ由。
朝日新聞筒井康隆氏「小説「聖痕」連載を終えて」掲載あり。「幼時に性器を喪失した主人公貴夫が、どのような人格になって現代の社会を生き、他の登場人物たちとかかわっていくか」は当然のやうに耽美的な数奇な一生か、あるいは宦官的に権力の中枢に?といふのを想像したのだが筒井大人は「去勢された人間としての中国の宦官に見られた権力欲、即ちアドラーの謂う「権力への意志」などは現代にそぐわないから、ある種の反社会性を持たせたままでひたすら美味を志向させたのである」と種明し。Googleで「筒井康隆 聖痕」と検索すると、この日剩がかなり上位に出てくるのも新聞小説なんて今どきあまり反響がないのか?と思ひつつ、でも筒井ファンはなか/\コアだらうから、とアタシも日剩のなかで、この小説についての言及はそれなりに気を使つたが「本来はひとりで孤独に走らねばならぬ作者に対して手紙やメールやブログなどで連載に伴走してくれた人たちにお礼を申しあげる」といふ筒井大人の言葉も「これは俺に対してか、がははは……」と。