富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-03-14

農暦二月初三。朝イチで湾仔。公立病院で診察二週間前の血液検査。採血前は空腹にて、病院出でれば十数年ぶり、で檀島珈琲餅店で朝食。此処は店全体がリプトン紅茶で珈琲もリプトン茶杯で供されし、はご愛嬌。齋琲(ブラック)で注文せど此店の珈琲、最初からミルクたっぷりの港式用に煮る、エスプレッソとは亦た違ふどろ/\のタールの如きものにて齋琲には合はぬ、と後悔。早晩、昨日に続きジムのトレッドミルで5km走る。何ヶ月ぶり。運動不足で体重増えずとも顔や腹の浮腫み甚だしく「これぢゃ見苦しい」と。iPad mini入手後に、丁度、朝日や日経に紙面ビューワー登場したことも重なつたが、すつかりiPadで新聞読む習慣つく。iPad mini持ち歩きに便利だが元々のiPad使つてをらず勿体ないので自宅では画面大きなiPadで、と思つたが重く感ずるのは当然として「見づらい」。何が見づらいのかしら、と思つたら手に持つて見るディヴァイスにしては画面大きすぎコンテンツ読むのに目がかなり動くこと。その点iPad miniだと目をば動かさず読める大きさ。フォントかなり小さくなるがバックライトで明るいので老眼でも小さな字が読めるので支障なし。
▼朝日で連載終了の筒井大人『聖痕』。幼い男の子が変質者により陽具切断されることに始まる話だが陽具といへばTom Hickman著“God’s Doodle: The Life and Times of the Penis”話題となりThe Economist誌のこの本取り上げし書評(こちら)も秀逸。邦書でも木下直之『股間若衆-男の裸は芸術か』(こちら)も出て一寸した股間ブーム。そのなかで極めつけは信報で林行止専欄が三回に渡り男根について(こちら)。これには上述のTom Hickmanの著作もかなり引用あり。
▼都新聞夕刊に小松和彦氏(国債日本文化研究中心所長)が「山口昌男さんを悼む」寄稿。

山口さんが熱っぽく説いたのは人類学的な「知」とは「未開」社会に息づく神話的想像力、野性の思考を介して近代の一元化された世界観に揺さぶりをかけバラ/\になった世界の破片を寄せ集めて、その全体を回復させること、即ちかつて人類がもっていた豊穣な始原的世界を現代に蘇生させることであった。そのためには領域を超えた知的冒険、書物の果てしない渉猟が必要

であり、山口昌男自身が思考を展開するために用いた主な概念は道化=トリックスターと両義性、始原であり山口昌男トリックスターに知識人の現像を見出した、と。そうした知識人は「さまざまな意味で両義性を帯びた存在であって始原世界が抱えもつエネルギーを我々の世界に齎すことのできる存在」であり望むところ「たとえ孤独であってもフィールドを巡り歩き書物の山を切り拓く若い知識人の登場であった」と。御意。