富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

筒井康隆「聖痕」お了ひ

fookpaktsuen2013-03-13

農暦二月初二。日本はデフレ脱却、ボーナス満額回答でTPPから憲法改正まで出来るのだから、ほんと単純な国。しかも低丁屁(TTP)の協定素案は7月まで閲覧できぬといふ(都新聞)。中身も知らぬまま参加表明できるのだから民草もまぁ呑気。で晋三は何から何までイケ/\どん/\で「主権回復」式典開催を閣議決定。この日を「屈辱の日」とする沖縄の感覚は琉球新報こちら)。日本は未だ主権など回復してゐないのだから桑港講話条約で主権回復などと言ふ勿れ。これ担ぎ出される陛下にもどれだけのご心労をおかけしてゐるか。自民党不敬罪でも適用を。今日は香港らしい多湿でどんよりと曇つた春になる。先日、東京でS従兄が実家で仏壇を整理してゐたら一通の古文書出てきた、と写真に撮つて送つてくれたが「茅根伊䂊之介」といふ名前くらゐしか読めず。他に祖父が纏めた家系図のやうなものもあるが折角なので、とこれを浄瑠璃本研究される畏友K君に無理にお願いして佐倉の方までお手伝ひいたゞき
貴札致拝見候 今般
佐十郎様御儀 結構被  
仰出 御本意至極奉存候 為
御供礼 早速貴簡被仰下
奉揃候 右御祝分に相束
如此御座候 恐惶謹言
 茅根伊予之介
三月廿四日 泰 花押
と読んでいたゞく。書状の特徴として内容が「当事者でないと要領を得ない」ところ多けれど詰まるところ「佐十郎」といふ人物につき好ましい判断が下された旨を報せる文面と理解。判断を下した主体は主君=烈公か。そう理解するのは2・3行目「被・仰出」(仰(おおせ)出(いだ)被(され))を改行して書き出すのは尊敬表現の典型であるため、と教はる。で、この茅根伊予之介は幕末史には名前の出る方で1824年生〜1859年没、文政から安政にかけ幕末の水戸藩士。

本姓は藤原氏。家系は常陸国の豪族小野崎氏の一門茅根氏。諱は為宜、泰。字は伯陽、士誠。号は寒緑。父は茅根伊左衛門為俊、母は増子幸八郎叔茂の女。墓所茨城県水戸市松本町常磐共有墓地。位階は贈正四位靖国神社合祀。

とヰキペディアにまで出ているが、「茅根」は「ちのね」と読み、茨城の県北ではけして珍しくない苗字だが、まさかこの茅根伊予之介さんが従兄の家で仏壇から出てくるほど近い先祖の一族だつたとは。

伊予之介は為俊の嫡男に生まれたが、父の死後に生まれたために伯父為敬が家督相続していた。天保2年(1831年)、伯父の養子となり、茅根家の後継となった。天保13年(1842年)4月、床机廻に抜擢された後、同年11月には学問出精により藩より賞せられる。翌天保14年(1843年)7月には藩校の弘道館の開設に向けて弘道館長に任ぜられ、藩士の教育に従事する。弘化元年(1844年)、藩主・徳川斉昭が幕府の嫌疑を受けて致仕・謹慎すると、宥免運動に参加した。これにより伊予之介も職を解かれるが、下野している間、家塾・養正舎を開き、国家のために尽くす人材を養成する道を歩んだ。しかし、その後、藩内の尊皇攘夷派と佐幕派の対立が激化すると、伊予之介も尊皇派として抗争に参加、斉昭が復権を果たすと同時に伊予之介も復職した。
安政元年(1854年)、マシュー・ペリー提督率いるアメリカ合衆国東インド艦隊が日本に再来し、江戸表の緊張が高まったため、伊予之介は水戸藩江戸藩邸の警護の任に就いた。同年4月には小十人組弘道館訓導の職を経て、12月には郡奉行奥右筆頭取となり、藩内佐幕派の一大勢力であった結城寅寿ら結城派の取り締まり、処罰に尽力した。その後は藩校・弘道館の開設に尽くし、同年10月には江戸定となる。安政4年(1857年)11月、奥右筆頭取を兼務し、翌安政5年(1858年)、藩主斉昭が幕府の大老井伊直弼との対立により蟄居謹慎となり、再び斉昭の宥免運動に奔走する一方、将軍継嗣問題に絡み、斉昭の実子・徳川慶喜を将軍後継に定める運動を続けた。しかし、戊午の密勅、安政の大獄日米修好通商条約調印の問題に絡み、尽く井伊側と対立した結果、幕府より不穏分子として警戒を招き、安政6年(1859年)、伊予之介はともに国事に奔走していた水戸藩家老 安島帯刀とともに幕府評定所に出頭を命ぜられることとなった。評定所に出頭した伊予之介は摂津国三田藩九鬼氏の江戸藩邸に預けられ、同年8月、三田藩邸内で死罪となる。

……とヰキペディアより。弘道館は小学校の郷土クラブに入つてゐたくらゐ歴史好きだつたので畏友J君らと遊び玄関で「水戸學修めたくぅお頼み申しあげ候」なんてやつてゐたし中学校が水戸城趾なので毎日この弘道館の前を通つてゐたが、父方の祖先の一人がまさか館長だなんて。高校のとき同級生だつた安島君(「あじま」といふ読み方で当時、安島帯刀の家系だ、と気づいてゐたが)とは安政の大獄で一緒だつたなら、もつと仲良くしれおけば良かつた(笑)。
筒井康隆先生が朝日新聞に連載の小説『聖痕』お了ひ。昨年七月の連載開始当時、アタシは日剩(こちら)に

「1960年代終り近くに東京に生まれた主人公の少年が類ひまれな美しさに恵まれ周囲を騒がせ、その美しさゆゑに或る事件を招く」なんて事前宣伝にあつたが、ゾラ的な実験(筒井)なのださうで、いきなり第3話で少年がいやらしい中年男に性的悪戯されるやうな場面に*1新聞小説としては禁断の世界に……と金澤のH君。何とも練りに練つた擬古文が面白いが、それも単に文学的な効果だけでなく「読めない読者は読めないから読まない」といふ「この擬古文表現がわかる人だけで良い」で当世かなりヤヴァい世界を描くという手法なのかも。内容が内容ゆゑに、どうせ文学なのに内容が犯罪的だのモラルに反してゐるだのバカな反発などある……の「だとしたら」周到に計算された超絶技巧凝らしてのギリ/\の表現が期待できるところ。明朝のこの少年が中年男に悪戯されるところをどうこの擬古文で表現するか。文学がこれほど挑戦的であることが本当に珍しく思へてしまふとは。

と書いて強ち外れてゐないだらう、と悦に浸つてゐたのだが、完ぺきに外れ。(以下、この小説に関する物語の展開に関する記述あり。この小説をこれから単行本で読まうといふ方はご注意あれ)アタシの幻想は森茉莉的に(恋人たちの森)、栗本薫的に(真夜中の天使)、この陽具=男性-性失つた少年がどんな数奇な運命をば生きてゐくのかしら、とゾラ的になんて宣伝文句からもどろ/\と「これでもか、これでもか」と不幸な少年に更に仕打ち的に試練重なることを馬琴的に読者として期待?したわけだが、物語のなかで少年が大人になる過程で芸能界入りみたいな筋もあり「そら、きた」と思つたらさらりと躱され、性の束縛から解放された少年は異常なほど食物の味に敏感になり東大農学部から食品会社に就職、さらに銀座にレストラン開業でミシュランの三ツ星も得て……と、その展開も「あんまり」なら、更に「あんまり」はこのレストラン香月を舞台に、まぁ男たちと女たちのエロ/\な性的行為の繰り返し、毎日次から次へと誰と彼がくっついた、同衾に喘ぐ声、と正直言つて食傷気味。いつたいこの物語は何処に行くのか、はたまた凡作か、と途中、少し呆れつゝが正直なところ。で物語がやけに同時代ゲーム化してゐるな、もしや、もうすぐ三月でまさか?と思つたら案の定、で東日本の大震災。朝日新聞はしかも「筒井康隆さんの連載小説「聖痕」は13日で終わり14日から宮部みゆきさんの「荒神」が始まります」と告げるではないか。あと数日で結末?……で被災地支援に向かつた貴夫は被災地でまさかあの男に邂逅するとは。貴夫は幼い自分を襲ひ無惨にも陽具を切り取り去つた男(金丸)に「むしろわたしはあなたに感謝すべきなのかもしれません」と言ふ。

色欲から解き放たれリビドーの呪縛もなくエディプス・コンプレックスとも無縁だったため自分が如何に自由で平和な半生を送ることができたことか。そんな自分には喪失したものの大きさもわからず、失わしめた者への怒りも憎しみもある筈がないのだと、それが金丸にどれほど理解できたかを慮ることなく貴夫は語り続ける。欲望に振りまわされている男女をおかしさと憐れみで眺め続けてこられたのも通常の人間には及ばぬことであったろうし、諍いや暴力沙汰ともほとんど関わりなく生きてこられたのも闘争心の根源が断ち切られていたためであったろう。(第234回)
肉親を見るにつけ本来強い自我を持って生まれてきたであろう筈の自分が、自ら求めることもなく聖心地の生涯を得られたことは幸せであったと言えよう。(第235回)
東日本大震災から2年目の三月十一日に合わせ物語は2年前のあの日からとオンタイムで進み、被災地支援から戻つた貴夫に友人の金杉君が語る。人類の滅亡なんて昔からわかつてゐたこと、それを宿命と受け止め果たしてこれからだうするか。
これからはやはり、リビドーや複合観念(コンプレックス)の呪縛から脱した高みで論じられる、静かな滅びへと誘い、闘争なき世界へと教え導く哲学や宗教が必要になってくるだろうね。その場合にはナショナリズムを排除しなければ、その布教を世界に敷衍することはできない筈だ。どうせ滅びるなら仲良く和やかに滅びに到ろうではないかと諭すんだ。飢餓による資源の奪いあいやナショナリズムが残るとしても、キリスト教や仏教みたいに理想だけは高く掲げなきゃね。日米関係もTPPも領土問題も最終的には食糧問題に包含され収斂される。世界国家に領土は不必要という認識にまで登り詰めれば、残り少ない食べ物を分けあいながら、幸福に、そして穏やかに滅亡していけるだろうよ。(第237回)

と。かういふ時代に性から解放されてゐる貴夫は理想的な人類なのかも。子孫が絶対に絶へてゐることも重要。それにしても筒井先生が晩年となる小説で、こんな欲のない時代の到来を夢みるのだ……筒井康隆といふ作家がさうしなければいけないほど世の中がキチガイになつてゐるから、なのだが。結局のところ貴夫の周囲で彼を拝んでしまつたことで誰もが抱くであらう好奇の「まなざし」でアタシも含め読者は「何が起きるか」に期待して、それはまさに筒井大人の思ふ壷だつたことに今更ながら気づく。完ぺきにやられちまつた。唖唖、私も貴夫のまはりに鳩まるエロ事に垂涎する欲望の固まりのやうな生物の一つであつたのです……てな感じかしら。
朝日新聞社説「憲法改正要件「3分の2」の意味は重い」(こちら
朝日新聞のインタビューで内山節(哲学者、立教大学)の「リフレ論争の限界」(こちら)。これは必読。「とにかくインフレを起こさないようにしてもらいたい。物価安を前提に豊かさを追い求め生活のスタイルを確立した人々の世界がいっぺんに行き詰まるから。いま社会で起きている生き方の模索を邪魔してはいけない」と内山先生。

ひと昔前の常識では、これだけ金融緩和をすれば、相当なインフレになってもおかしくありません。そうならないのは、中央銀行が貨幣をコントロールする機能を失っているからです。世界で貿易や工場建設に使われるお金より、金融商品で稼ごうと国境を超えて飛び交う投機マネーのほうがはるかに多い。実体経済と結びつかないお金がお金を生み、総額さえ正確につかめない。貨幣を増やしても実体経済に必ずしも回らない。主要国に共通していえる構図です」「表だっていえないでしょうが、金融当局が真に危機感を抱いているのは、貨幣が制御不能になっている問題でしょう。この状態を放置して金融緩和をしても意味がない。それでも世界で金融緩和が続くのは、出口もやり口も見えず、同じことを繰り返すしかない、というのが本音ではないでしょうか。デフレに陥っているといわれますが、物価の下落幅は小さいし、物価が下がっていても国内総生産(GDP)はわずかだが拡大している時期のほうが多いのです。物価下落の背景には、世界経済の供給構造の激変があります。少数の先進国が生産を独占していた自動車や家電製品も、途上国の工業化で価格が急激に下がりました。液晶テレビのような競争の激しい製品が、金融緩和で値上がりするわけがありません。(略)脱デフレ論は、取り分を増やせなくなった企業の悲鳴に過ぎない。金融緩和には抵抗勢力などいないから、世界経済の構造変化に目をつぶって、日銀に責任を押しつけているだけではないでしょうか」「若い人たちにモノを買ってもらうために必要なものは、財政政策でも金融政策でもありません。非正規雇用に制約をかけて正規雇用せざるを得ないように企業を誘導するとか、最低賃金を引き上げるとか、雇用・労働政策をきちんとやればいいのです。非正規の賃金を正規より高くするとかの方法もある。働く側も、不安定だが賃金は高いか、安いけれども安定しているかを選べるわけです。日本の非正規は不安定で安い。そこを早く解消しなければならないと、みんなが気づいているのに、経営者の抵抗をおそれて一向に進まない。企業は一度、低賃金でやれる仕組みをつくると、それが当たり前になってしまう。そこからイノベーション(技術革新)は起きません。いま日本経済を冷え込ませているのは、この問題なのです。資本主義経済は成長し続けないと行き詰まるという困った原理を持っています。市場で競争する仕組みだから、たえず商品価格の下落が起きる。そこでいかに安くつくるかとなって、新技術の導入で効率よくやろうという動きと、賃金など労働コストを下げる動きが出てくる。新しい産業が余った労働力を吸収できないと、失業者や低賃金の人が増え、消費が落ちて市場が縮小し、逆に資本主義の発展を阻むことになる。しかし、市場の拡大が極端な格差社会を生むようになった今日では、これまでの論理は通用しません。物価が上がる、上がらないという狭い論争はもうやめて、地域、地域にふさわしい持続可能な労働の場をつくっていくことを考えるべきです。

と筒井大人のいふ新しい価値の創造をしないといけない時に来てゐるのだが。

*1:いいな。いいな。坊や。男が両手で、折り曲げた指を貴夫の柔らかな肩の肉に食い込ませて掴んだ。その直前に貴夫は、軍手をはめているような肉厚の手と、油に汚れているような黝い指と、黒いものが詰っている伸びた爪を見ていた。坊や。いいな。いいな。何もしないけどな。いやまあ何かするけどな。いいことだ。いいことだからな。声を出すなよ。いいことしてやるんだからな。男は貴夫の褐色をした羅紗の半ズボンに手をかけた。ゴム紐を縫い込んだベルトだから、ズボンはすぐに引きおろされた。何すんの。やめて。しっ。黙ってろったら。やめてよ。逃げるな。こら。蛙ちゃんみたいにじっとしていろ。(以上第3回)羊歯の葉を背に敷き、自分の顔に見開いた眼を向けている貴夫を見て、ほほ、ほ、ほほ、ほ、ほと途切れる溜息をつきながらなんて綺麗なんだと男は思う。薄茶と白の海賊縞の半袖シャツがその男の子を童話の挿絵の如く幻想的に見せていた。瞬間ごとの貴夫の表情の変化を見逃すまいとして、男は貪欲に男の子の面差しを記憶に溜込んだ。それを小出しに想起するたびの大きな悦楽を、男は早くも予感して陶然としていた。ああっ、いやだ、やめてという可愛いこの声も忘れまい。大丈夫だ。近くの住宅に聞こえることはない。その心配から自分の行為に没入できないことを恐れたための今までの観察と待機ではないか。今痛いほどの隆起を意識している男には、貴夫の美貌によって自分の欲望までが美しいピンク色に染まっていると感じられていた。男が切望し、とある脳神経の回路を経て彼がそう思い込んでいる美しい稚児の美の根源がそこにある。(略)少し血を浴びた男が夕焼け空に嫋嫋響く泣き声に急かされ、切断したばかりの、子鼠の死体ほどの物体を乾いたハンカチにくるみ、大切そうにやや前へのばした手で押し頂くようにしながら背を丸め、空地を走り出る。(以上第4回)