富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

社説読みくらーべ

fookpaktsuen2013-03-11

農暦一月卅日。東日本大震災から二年。香港時間だと午後一時四十六分。ニコニコ動画日比谷公園で開催された311東日本大震災市民のつどい『Peace On Earth』をこの時間に見る。リベラル系の市民集会なのでニコニコだと書き込みは「網右」の揶揄多し。311を実際に体験してゐないアタシは今もたゞ当時について書かれた誰彼の記憶を読み、聞くしな術もなし。晩に湾仔の六国ホテル「粤軒」。有志で釧路T夫妻の送別会。宴会で一緒だつた鹿児島O氏、福島S氏と三人で何となく天后でMTRを降りて「ちょっと飲みますか」と古くからある地元パブ「濃情」に麦酒一飲。O氏がワイン飲みたい、と所望され「ご馳走してくれるなら」(笑)とこのパブの樓上にあるJulietteなる名前のワインバー。Ch D'issanのセコンド、Blason D'Issan 09年飲み三更に入つたころに帰宅。
東日本大震災から二年目の新聞社説。朝日新聞は「原発、福島、日本 もう一度、共有しよう」と題して

事故直後は、「恐怖」という形で国民が思いを共有した。2年経ち、私たちは日常が戻ってきたように思っている。だが、実際には、まだ何も解決していない。私たちが「忘れられる」のは、今なお続く危機と痛みと不安を「フクシマ」に閉じ込めてしまったからにすぎない。

と確かにさうなのだが、何を共有するのか、が今一つ不明確なまま朝日らしく「市民の声」を紹介して、で終はつてしまつてゐる。東京新聞は怒り心頭「3・11から2年 後退は許されない」

そういえば、忘れていたようだ。電力業界ともたれ合い、半世紀前から国策として原発立地を推し進めてきたのは誰だったのか。安全性や核のごみ処理を置き去りにしたままで、世界有数の地震国に五十基を超える原子炉を乱立させたのは、ほかならぬ自民党政権だったのではないか。(略)核のごみ、活断層、汚染水…。人間の今の力では、どうしようもないものばかりである。エネルギーとしての原子力は持続可能性が極めて低いという現実を、福島の惨事が思い知らせてくれたのだ。見方を変えれば原子力時代の終焉は、持続可能な社会への移行を図るチャンスに違いない。そのような進化を遂げれば、世界に範を示すことにもなる。

脱原発で前向き。これに対して読売新聞(震災2年・再建を誓う日 政府主導で復興を加速させよ)はさすがナベツネで核禍については

避難生活を送る被災者は31.5万人を下らない。うち約16万人が、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県の避難者である。

と述べただけで今後の原子力については一切触れもせず。さすがに311の日に触れられぬのだらう、が産経新聞になると怖いものなし、で「3・11復興支える「絆」強めたい まず風評被害を根絶しよう」と題して

放射線を恐れるな、と言うのではない。被災地の窮状を理解し、「つながり」を拒絶するなと訴えたいのだ。風評被害は偏見から生じた人災である。

とこゝまで書かれてしまふと読売新聞ですら多少お利口さんに見えるから。ちなみに311から一夜明けた翌十二日は「福島事故2年 原発活用し生き残ろう」と明確な主張に明日の未来が拓けたやうな気に(涙)。そんななかで一番真っ当なのが具体的に晋三政権の誤謬を指摘し何が必要なのか、を説く毎日新聞の社説「震災から2年−原発と社会 事故が再出発の起点だ」なのだつた(こちら)。
▼日経「私の履歴書」でカーラ=ヒルズ女史(元米通商代表部代表)水門事件でニクソン辞任襲つたフォード大統領はベトナム泥沼化、オイルショックとエネルギー問題、インフレと失業率は上昇……といふ悪条件のなか、地道に野党民主党との折り合ひつけ職務続けたがニクソン恩赦など反発もあり民主党のカーター候補に負けたわけだがヒルズ女史は共和党のフォードが上下両院の民主党ベテラン議員との交流も深く今日のような分極化など存在せず、それが今では大統領ですら野党とは社交の場を持とうせず、お互いを知りもせず、多くの案件について解決策を見いだすための信頼も築けていない、と指摘。

もう少し長く、フォードが大統領の職務に就けていたならば、それは間違いなく米国にとって良いことだったはずだ。世界中が注目した昨年末の「財政の崖」もフォードだったら、早々とこう宣言して決着を図っていたのではないかと思う。
「わかった。双方、痛み分けで行こうじゃないか」――。

……とこれを読み、ふと大平首相を思ひ出す。自民党があんな派閥抗争さへしなければ大平があんな死に方をせず自民党も真っ当な方向に進み小泉の登場もなく……だつた加茂。
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