富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

私たち日本人こそがメイドインジャパンなのだ

fookpaktsuen2013-02-09

農暦十二月廿九日。除夕。昼すぎZ嬢とヴィクトリア公園の花市へ。毎年この維園年宵といへば支聯會で司徒華先生の春聯揮毫だつたが先生逝去で寂しさ。測量梁や香港政府のダメ高官揶揄の祝賀グッズ?賣る屋台冷やかし花市へ。正月といへば桃の花、だが暖冬ですつかり咲ききつてしまひ桃花買ひ求める者は少ない。南天フリージア購ふ。夕方ジムまで走る。晩にすき焼き。NHKでテレビ放送開始60年で「テレビミライ」なる討論特番あり眺める。「テレビが面白くない」って既成事実で面白くないのだから面白くできるはずもなく当たり前のことをテレビといふメディアで議論してもしょーがないだろうに。昔はメディアの最先端がテレビでテレビしかなかったからテレビが面白かったわけでアタシだってテレビは殆ど見ないが何も困らずネット見てネットにかうして日記など綴つてゐることが生活のメインになつてゐる。テレビより陋宅マンション周辺で未だ晦日だといふのに、もう親戚参りの自家用車路上駐車混み始め駐車場に入る車がスタックし路上駐車で前塞がれ動けぬ車がクラクション鳴らし続け……それをマンションの窓から眼下眺めてゐるほうが余っ程可笑しいから。続けてテレビ放送60周年記念ドラマ「メイドインジャパン」眺める。経営危機のタクミ電機でリストラに遭つた技術者(高橋克実)がその先端技術持つて中国に渡り新興の自動車会社「来世」(巧みの技術に対して来世か……唖々)で製品技術開発に乗り出す話(ここで大團圓、とこのドラマ見るのを止めた、と金澤大學のK先生……笑)、そのタクミが技術盗用で来世を訴へ……のはずが、その技術者が新技術の来世のリチウム電池にも未だ克服すべき欠陥があり、と記者会見で公表、で結局は来世の資金提供でタクミ電機の再建を……と大團圓。これからの未来は日本の技術力と市場、資金ある中国が提携して……と理想的なのね。それにしても「日本人にとって、会社とは、人とは何なのか?「メイドインジャパン」は生き残ることができるのか?」なんて大袈裟にテーマ叫んでおいて最後の決め台詞が「私たち日本人こそがメイドインジャパンなのだ!」って、思はず椅子から転げ落ちさうになりましたよ。確かに海外ででも生まれてなけりゃ日本製。だが問題は品質とその性能、価格。それが世界の市場でどれだけ求められるか、が問題。そこが深刻になつてゐるってのに「私たち日本人こそがメイドインジャパンなのだ!」って……「東ヨーロッパの人のスターリンブラックジョークもこれには敵いません」とチョートク先生。中共民族主義国家主義高揚もこれにはタジ/\。水戸黄門で「これで、これから幸せになれる」って感動と同じ。こんな番組見て感動しても明日の希望も何もない。ところで満帆商事の人事部長であつた高橋克実がどういう経緯でタクミ電気の技術者になつたのか、が気になるところ。
▼今日の信報の社説(警惕日本背後圖謀 中國慎防反遭利用)で「觀乎安倍近期表現,一方面口口聲聲要與中方通過談判解決釣島問題,另一方面又不斷施展小動作刺激北京,可見其在釣島主權以外,更大的目標在企圖否定歴史,改變戰後秩序,使日本重新成為軍事大國」と書かれてゐたが晋三の勢ひ然ること乍ら自民党亜流の「維新」の後方どころか前方支援。衆院予算委で維新の中田&山田の漫才Wヒロシとそのまんま東。かつての自民党青嵐会のやうだが平均で53歳。青嵐会結成当時、中川一郎で48歳、石原が41歳だと思ふと、維新の先鋒軍団どころか50すぎて特攻隊ぢゃ困ったもの。中田ヒロシに促され晋三は「たとえば国民の70%が憲法を変えたいと思っていたとしても、3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば指一本触れることができないというのはおかしいだろう、という常識であります」なんて応へ中田ヒロシは「96条の緩和は憲法改正の「中身」ではなく改正の「手続き」の話。中身については「本当に慎重に様々な議論をしていく必要がある」が、その議論を緊張感をもって進めるためにも手続きの緩和が必要なのだ」と掩護射撃。翌九日の朝日新聞で根本清樹編集委員の「憲法96条改正 単なる手続きではない」が秀逸。「憲法」の理念と立憲主義について。本来このくらゐの「常識」(晋三が三分の一の代議士の反対で憲法改正が出来ないのがおかしい、といふことこそ非常識)は大学の一般教養の憲法概論のはずなのだが。

ここで考えるべきなのは、96条を変えることは憲法の中身にかかわる問題ではないのか、という点である。なぜ憲法はふつうの法律より厳格な手続きを踏まなければ変えられないのか。憲法は「最高法規」であり、高い安定性が求められるという説明はわかりやすい。ただ、憲法を単に法律の親玉のようなものと考えるのは正しくない。憲法とは何か。
衆院憲法調査会長を長くつとめた中山太郎氏がかつて的確に指摘したように、「憲法とか立憲主義というものは、そもそも少数者の人権尊重から始まったもの」である。過半数でものごとを決める民主政治は、少数者を切り捨ててしまう危険を常にはらむ。多数者が横暴にふるまい、専制に走ったりしないよう、その権力にあらかじめ歯止めをかけておこうというのが憲法である。それが、時の多数者の意向で簡単に変えられるのでは理屈にあわない。民主政治は時に過ちを犯す。歴史を踏まえた苦い洞察が、憲法の背後にはある。
改正手続きが厳格なのも、国会のつくった法律が憲法に違反していないか、最高裁が審査する仕組みを設けているのも、それゆえである。憲法96条は、ただの手続き規定ではない。憲法の中身、その本質と切り離して取り扱うことはできない。

朝日新聞社説「集団的自衛権 首相は何をしたいのか」(こちら)。
▼中山桂子さんの「震災復興 いのち、暮らしの視点から 今必要なこと選択を」(東京新聞八日夕刊より抜粋)

首相の示す言葉を唱えていれば、暮らしやすい世の中になるかといえば、そうではない。そうではないだけではなく、経済はお金が動くことであり、危機管理は軍隊を持つことだとしたら、こんなはずではなかったという社会になるのではないかと気になる。(略)もちろん問題点はたくさんあるが(略)細かく見ることから出発して、今必要なことを選択していくのが復興支援だろう。それは安心な食べ物づくりを経済再生につなげる道ともなる。(略、そんな細かいことを国レベルでは出来ないから地域なら、で)だからこそ地方分権、自律的に活動する小さな単位の集まりとしての国をつくろうという答えが出てくるのである。二年前に私たちはそんな社会を思い描いたのではなかったろうか。その道が面倒で困難だからといって、株価上昇の期待感から出発する大雑把な道を選んでよいのだろうか。いのちや暮らしの視点からそう考える。

覚醒剤使用で埼玉と茨城の小学校教員逮捕。誰だって楽天市場にはないがネットでも覚醒剤くらゐ入手できるわけで寧ろ怖いのは「子どもたちが覚醒剤がそんな身近にある、と誤解するのが怖い」と影響懸念でこの教師が勤務する小学校にスクールカウンセラー派遣……って。小学生にはtoo muchではないか。「覚醒剤は身近にあるけどダメよ」でいゝはず。過剰反応の気違ひ社会が明日の気違ひを生む。
▼「南方週末」グループの社長に広東省共産党委員会宣伝部長が就任の由。