富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Okinawa was imperial Japan’s first colony

fookpaktsuen2013-01-05

農暦十一月廿四日。小寒。土曜日だが今日も公邸でご執務。快晴の空をぼんやりと眺める。何気なく書架にあった地図帳(帝国書院『新編中学校社会科地図』眺めると平成17年度版だったが香港の地図で未だにビクトリア市あるは、ランマ島とチュンムンはまだ何とかわかるが「シンチエ」はほんとわかりましぇーん!「ロウ」も間違ってはゐない鴨しれないが。夕方、太子に所用あり。旺角にかけての路上商店にまぁ大陸からの買い物客の多いこと。安物狙ひ。買ひ食ひの臭豆腐が冬は尚更美味。帰宅して夕食済ませうたゝ寝。二更に中環。FCCのバーで沖縄から来港中のH嬢と飲む。Lascombesのセコンド08年、最近FCCハウスワインとなってゐるDomaines Paul Masの赤。三更に銅鑼湾のバーS。The Balvenieの12年をヰルキンソンソーダでいたゞく。かなり珍しく半夜三更を越へ帰宅。
▼元旦の香港反政府デモ。社民連や人民力量など反権力指向がだん/\とプロ化して、かなり警察や公安当局を焚き付けるところもあり。梁“長毛”國雄議員的には自分一人がデモで立ち止まっただけで道路の不法占拠で二百人の警官に取り囲まれた、と非難するが「どっちもどっち」のところもあり。それにしても警察もまるで煽てに乗るやうに、こんな警備は遣り過ぎ。反測量梁世論高まるなか豪邸不法建築で落選した唐“紅酒”英年は半年ほど諸国漫遊などしてゐたが折からの反梁ブームで対立候補(自分)に対して不法建築で攻撃して自分は同じことはない、と断言してゐてのこの態、自分は政府建築当局の査察受け入れたが測量梁はどうか、あまりに不公平と愉しさうに梁を非難。「香港の良心?」のアンソン陳方安生女史はマスコミ招いた茶会で董建華、貧官曽、測量梁と三代の行政長官を「一蟹不如一蟹」つまり段々と質が下がる、と苦言(但し測量梁の任期内の退陣は可能性薄と否定)、民建聯の議員から政制及内地事務局の副局長に抜擢された劉某は「人格に問題あり」、愛国教育推進する教育局の呉某局長は自分の政策規疇も理解しておらず「小学生なみ」と言ひたい放題。アンソン女史がそれほどあれこれ言へる立場か、と思ふのはアタシだけかしら。もうかうなると体制派と反体制派の罵声の浴びせ合ひで、そこから何も生まれず。今日の蘋果日報「蘋論」で李怡先生が「不是社會撕裂,而是道�價值被撕裂」こちら)と題して書かれてゐるのは「社会で異なる利益団体の主張が対立するのは常態で民主社会では選挙、三権分立言論の自由で、さうした対立のなかで社会が形成されるもの、18世紀の米国の作家Fisher Amesが言ふやうに「君主政體(專權政治)就像一艘航行順利的商船,但有時會有一位胡搞的船長把船駛向礁石堆中令船沉入海底。共和政體(民主政治)猶如一排竹筏,順水漂流,從不下沉。但竹筏上的人,腳總是要濕的」で常に民主国家は自由尊ぶがために、どうしても筏で急流をば漕ぐやうにリスクも大きいところ、香港では英国統治時代から培ってきた「人権」が伝統となってをりデモもできるし行政長官選挙が普選になっておらず立法会も世論反映せぬ業界枠が多数あり選挙で政治的意思を表明できない場合「デモ以外に権利を自由に主張する手段がない」ことになる、と。但し
孟子說:「上下交征利而國危矣!」倘若一個國家上上下下都在相互追逐利益,那麼這個國家也就非常危險了。儘管在一定意義上,每個人都是利益的動物,但人又不能僅僅逐利,人更是道徳的動物。《論語》說:「君子愛財,取之有道」。孔子的「道」主要講仁義與忠恕。當今社會則主要講守法與公正,道徳與操守。
と説き測量梁が支持率狙ひで市民に現金支給などしようものなら、もはや理念もなく「只會使香港人利益取之有道的價值系統「危矣」,很快變成如大陸一樣的上下交征利的社會。所危的,不是香港社會出現撕裂,而是香港的道徳價值系統被撕裂」と、道徳的価値まで墜落せば取り返しのつかぬことに、と。御意。
▼唯霊先生が「艇仔粥」について書かれてゐる(今日の信報)。

區區個人最愛吃「艇仔粥」,以其用料精美不失廣州當年荔灣風味。「艇仔粥」源於廣州荔枝灣,是泛舟夜遊時消閑小食,廣州前市長朱光曾有「竹枝詞」描述:
「廣州好,夜泛荔枝灣。擊楫飛觴驚鷺宿,啖蝦啜粥樂餘閑,月冷放歌還。」
有閑階級消夜食物貴精不貴多,粥料除鮮魚片外,還有淡水蝦仁、燒鴨、海蜇和蝦子,非如香港版只得炸豬皮、魷魚絲、炸花生和魚片那麼粗糙。

▼昨日の都新聞で佐藤優氏の「新帝国主義と「沖縄党」」が面白い。世界では旧来の植民地争奪や帝国主義国間での全面戦争は避けるが「国外からの搾取と収奪を強めることで自国の生き残りを図る」新帝国主義の時代となりアジアもその中に置かれてゐるが、母親が沖縄の久米島出身で、自分自身は日本と沖縄の、それぞれの主張がわかる複合的アイデンティティをもってゐる、といふ佐藤氏は

国際基準で見た場合、現下沖縄で生じている事態は、民族紛争の初期形態だ。あえて刺激的な表現をするならば、日本政府は、沖縄人を日本人に統合することに失敗したのである。それだから沖縄に体する構造的差別が固定化してしまったのだ。(略)日本国家の枠組みの中で沖縄の主権を認める連邦制への転換が必要と思う。

とかんり大胆な提言。御意。さういはれると香港のジャスコでも沖縄県がなぜあれだけ積極的に沖縄物産で独自の売り込みをしてゐるのかも、まるで幕末の薩摩藩(沖縄にとっては帝国的敵だが)が倫敦万国博に薩摩として参加したやうに独立のアイデンティティを感じざるを得ず。英エコノミスト誌(2012年12月22日号)が尖閣に関して“Narrative of an empty space”という記事で“Behind the row over a bunch of Pacific rocks lies the sad, magical history of Okinawa”と、つまり日中両国に挟まれて、の所謂“沖縄の悲哀”についてかなり興味深く掘り下げてゐたが(こちら)、そのなかで
Okinawa, then, was imperial Japan’s first colony, a practice run for increasingly brutal Japanese occupations of Taiwan (1895), Korea (1910) and mainland China (1931-45).
と述べてゐて、これはかなり強烈。さうなのだ、まさに帝国日本の最初の侵略、植民地が琉球
毎日新聞の元香港特派員、上村幸治氏逝去。享年五十四。毎日の中国総局長を最後に退社され獨協大学。迂生香港に住み始めた1990年頃、当時の香港研究会で上村氏の尊顔拝しFCCにも連れてきていたゞきビール飲みながらいろ/\話伺ったこと思ひ出す。