富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

晋三再び、戦後の超克ってか?

fookpaktsuen2012-12-26

農暦十一月十四日。昨日の聖誕祭に続き英国統治の名残でBoxing Dayの休日。この日恒例のHK Ladies Runnners Club主催のBoxing Day Fun Runあり朝からヴィクトリアピークの湾仔峡。仮装競走だがあたしはかういふお楽しみが出来ず。Black's Link(ブラックはかつての香港総督の名)をぐるりと4.3kmのトレイルコースで今年のあたしは何故か高低差あるこのコースを29分で走り上げ自分でも驚き。午後は読書のつもりが、ふと2005年の台湾テレビドラマ、白先勇先生原作の『孽子』のVCD十八枚組未だ見てをらぬことが気になり早晩までかけて第十話まで見る。DVDだBlue-Rayだ、の時代にVCDなんて、もう何年みたことないかしら、陋宅のプレーヤーがVCD読むのかしら、と心配だったが大丈夫。まぁそれにしても役者が見事。原作もいゝがテレビドラマ化で物語が台北の新公園に巣くふ鳥=少年たちの、かなり様々な物語が重層的に語られ面白い。晩にパスタ食してNapa ValleyのHdV Wines – Hyde de VillaineのBelle Cousine 08年飲む。ちょっと気軽に開けてしまったがメルロー88%とCab Sauv12%でどかーんとフルボディ。NHKのNW9で晋三の首相再就任初の記者会見生中継で見る。なんだか具合は芳しくなささうに見えるが大丈夫なのかしら、と思ってゐたら傍らで菅(すが)某なる官房長官が卒倒した由。ロイター通信の日本語達者なホワイト記者の質問になど真っ当に応えることも出来ず。文藝春秋一月号読む。
▼その文藝春秋一月号は九十周年記念号。巻頭随筆で笠智衆とあり「え、まだご存命?」と記憶直したら九十周年記念で巻頭随筆の傑作選。やはり向田邦子が格別だが愛知揆一の三島由紀夫を語るのは昭和39年だから遉がにあたしも当時読んでをらず面白い。晋三の「新しい国へ」は評するにも値せず。特集「激動の90年、歴史を動かした90人」からいくつか。山本五十六が贔屓にした料亭・和光の女将に開戦後に手紙で「いまに東京に爆弾の雨が降ると、もしやおしまいでしょう。」と、その時の商売、生活を考へておくやうに、と。昭和27年に日芸の学生で東大劇団ポポロの舞台手伝ひ公安の追跡から逃走中の早坂暁が浅草の蛇骨湯で湯船に「よッ、ごめんよ」と歯切れいゝ声で入ってきた男が湯船の隅で顔を隠すかのやうに湯に浸かってゐた早坂に「あんちゃん、追われてんのかい?」と、これが渥美清との偶然の出会ひ。
▼安倍再内閣成立。晋三にそれほど強力な政治力あるやうにも思へず、自民党も政権復帰となれば失敗許されず、そのときになぜ晋三なのか、が不思議。誰が背後で晋三を自民党の総裁=首相に推し上げたか。仮説だが「今回の自民党の政権復帰が最終的な到達点でないとしたら」は如何か。この機に首相任せるには意欲だけは人一倍の晋三が適任。失敗したら「また晋三がしくぢった」で済み、かりに上手くいっても二度目なら、ある程度の時期見計らひ有終で後進に禅譲も出来る。でフィクサー(誰かはわからぬが)或は総体としての<政治力>の最終的な目標は民主党も含めた政界の再編成かも。公明党もXデー控へ、いつまでも創価学会の党ではゐられず、Xデー以降狙ひ、かつての新進党での失敗があったが次は何らかの形で意欲的に政界再編成に吞まれるはず。一宗教団体の党から平等、人権、平和重視で集票狙ってくるのでせうね。
内海桂子師匠が呟板に

今晩はまったく久しぶりに上野の鈴本に出演。金原亭馬生師匠の独演会のヒザを務めました。数年振りの鈴本。噺家さんのお客様の前で緊張してしまいました。先代が無くなられて30年経つんだそうで終わってから近くの天庄で一杯やってきました。先代に連れて行かれた初めてのお店です。良い時代でした。

と書かれてゐる。馬生師匠が亡くなって三十年?……鈴本に噺を聞きにいって昼の部が終はったアトだったか上野の薮で一人で蕎麦食べに行ったら相席で向かひの客に「こちらいゝですか?」と尋ねたら「あゝ、いゝよ」と顔を上げたのが馬生師匠、なんてのもあたしが高校生のときの懐かしいこと。あのときもちゃんと昼間っから呑んでゐらした。
▼中国の高速鉄道で広州から北京が直通に。かつて晩三更に広州火車站の候車室の長いベンチに並んで坐り、翌一日は日がな車にてすわ長沙だ、揚子江越へ武漢鄭州だ、まだ水量のあった黄河も越へ三日目の未明に石家庄過ぎるころには、さて北京も近いと社内そは/\で34時間だかかけて漸く北京に着いた三十年近き昔が懐かしいかぎり。あたしが粉末の即席味噌汁もってゐて硬臥で一緒の連中に飲ませたときの「美味しくない」といふ笑ひ声……。