富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

世界の終はりとローストダックワンダーランド

fookpaktsuen2012-12-20

農暦十一月八日。歳末でかなり忙しい日だったが晩六時に金鐘。Pacific PlaceのWatson's Wineで銀行家A氏とワイン選び彼人のお車で投資K嬢と一路、深井。裕記大飯店で世界の終はりに向け最後の晩餐。師走の忙しい時期に十一名がよくも鳩ったもの。風邪が流行りお二人が欠席で全員ゐれば十三人でまさに最後の晩餐だったのだが。今回は燒鵝に重点を置き最初に注文は燒鵝のみ。口開けに発泡酒はChandonで乾杯。T氏ご持参のCh Monbousquet 1996年を開栓して燒鵝。投資K嬢持参の名前失念のChâteauneuf du Pape、今日購ったChâteauneuf du PapeはLa Nerthe 07年、他に豆腐や野菜の料理を肴に酔ったあと用にチリのCab SauvはMontes Alpha、遅れてきた貿易O氏の白葡萄酒、A兄持参の紹興酒、最後に〆に今日欠席の中央銀行から差し入れで葡萄牙のPonte das Canas Colheita 07年、これがとても美味。十一人で十一本で食肆の給仕も他の客も「好犀利〜!」と呆れ顔。保険T氏お雇ひのレーサー君運転する、と何度か乗せて貰ってあまりの運転の上手さに彼を「レーサー君」と呼んでゐたが実際に彼はマカオグランプリのツーリングカーレースに出場経験ありだった由、その車で陋宅まで送ってゐたゞき、まだ世界の終はりの日まで小一時間あったのでT氏を招飲、ヴァランタインの三十年物の残り飲み干す。
▼将棋米長元名人の逝去で朝日と毎日、それに都新聞では例の園遊会での陛下のコメント「やはり強制になるということでないのが望ましい」発言が紹介されてゐた由。安倍改憲内閣成立三日前が今年の天皇誕生日となるが金澤H君が陛下の誕生日に当たってのコメントで「憲法にかんするなんらかの遠回しな発言がありそうな予感」と。昨年は「戦争の記憶が薄れようとしている今日、歴史を学び、平和に思いを致すことはきわめて重要」。宮内庁参与だった団藤重光先生他界されて陛下の今の「その方面」の顧問は誰なのかしら。平成になったころに東大を定年で退官された樋口陽一先生(憲法学)が上智に移る際に最高裁判所判事にでもなられて宮内庁参与になってゐたら……なんて想像したり、もするが、それも「細川政権がもう少し続いてゐたら」の話で、細川殿といへば無理矢理に消費税8%やろうとしての破綻、あれも小沢一郎がハンドリング誤ったもの、とH君。さう思ふと何を辿っても小沢失策に辿りつくのが日本の政治。
週刊読書人椎根和の連載を読んでゐたら雑誌Hanako!で漫画連載を決めレベル高き漫画かに週刊誌で毎週の連載はきつい、といふ判断で選ばれたのが輪作で、そこで選ばれたのが高野文子江口寿史吉田秋生しりあがり寿の四人で、今になって思ふとなんて人選、最良、垂涎だが当時のしりあがりさんはまだビール会社の宣伝部の所属。これを選んだのが少女漫画論の記載、秋山協一郎高野文子女史は妻。
▼同じ週刊読書人(十一月三十日号)で辻井喬丸谷才一の追悼を書いてゐる。

彼は、日本の近代文学を盆栽のように変形した日本的自然主義の害毒を乗り越えることなしには新しい展開は在り得ないこと、そのためには時間の経過をも直線的な流れから移し変えることを試みつつあるのだ、ということが見えてきた。丸谷才一の文学的時間は浮遊しながら、ひとつひとつの音階が不協和であることによって、現代社会の時間の諸相を重層的に描くことを可能にしたのである。

上手い。何が書かれてゐるのかあたしのやうな凡才にはてんで理解できないが、何だか凄いことが書かれてゐて、つまり丸谷才一は凄い作家だったのだ、といふことがわかる、というか、さう感じる。実は読み方によっては

丸谷才一といふ人は何だか一つの覚悟がなくて「はぐらかし」のやうにいろ/\な世界、時間を変えては小説を書いてはみせたが、結局のところ、どれもちぐはぐで何か一つ「これ」といったものがないまゝに終はった。

といふやうに思へなくもないが、さう言ってしまったら故人に失礼だし追悼にならないので、それを辻井先生のやうに書けるのが、それが教養といふもの。たとへばこの追悼の「丸谷才一の」の部分を「辻井喬の」としてしまふと、まだ先のことではあるが立派な辻井喬追悼になってしまふ加茂しれない。