富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

映画『一九四二』

fookpaktsuen2012-12-10

農暦十月廿七日。実家より『高松宮日記』全八巻を母が船便で送ってくれて届く。新刊当時一冊四千円の本が八巻で札幌の古書肆で五千円也。夕方帰宅してラウンジスーツ(最近このドレスコード少なからず)に着替へ散髪済ませ銅鑼灣の金澤が発祥ださうなゴーゴーカレー試食してから金鐘のアイランドシャングリラホテル。迂生この世で最も敬しくお慕ひする彼の人ご誕生日祝賀あり末席を汚す。立食パーティの前に食事済ませてくる最近のアタシの流儀で立食並びに欠食児が配給に並ぶが如き佐賀牛ステーキの列に加はらず。赤葡萄酒と岩手の日本酒いたゞき既知の愛飲家の方々と宴会場の隅で歓談款語。香港政府から行政長官測量梁でも来れば面白いが今日は立法会で豪邸違法建築疑惑、否、もはや疑惑にあらず単なる本人の詭弁が非難されるばかり、人前に醜態さらずほど厚顔無恥でもなく今年は「島争ひ」もなく香港政府側来賓は財務の髭曽氏。いくつか椿事ありとて此処に綴るも能はず。二次会に、と旧知より招飲あれど「映画のチケット買っちまったんで」と辞して一旦帰宅して着替へて晩九時九に太古城の映画館。冯小刚監督の映画『一九四二』見る。1942年の河南省が舞台。記録的旱魃、飢餓、国民党は日本軍の侵略に対峙しロクな飢餓対策もせず住民にとっての的は天災と日軍と何より直接の最悪は国民党政府。魯迅的世界。日本軍の侵略と同じく国民党の戦時下での統治及び軍略にも大きな問題があったことかねがね指摘する陶傑先生は辛口の氏が

中國片「一九四二」,氣魄宏大,電影史上從未有過銀幕上成千上萬的飢民逃荒覓食,老鼠蟑螂般潰散求生,不止是一九四二,而且上下三千年,中國人的飢餓常態,濃縮為兩小時,由「民以食為天」的中國導演來掌機,得心應手,流暢無比。這樣題材,美國人就拍不出來,因為在美國白人的基因裏,二百年來無此記憶晶片,所以「一九四二」絕對是世界電影中的成就。

と誉める。確かに国民党、蒋介石の失政は重大な失敗。それでもこの映画は中共は一切出てこず。裏返すと国民党批判で共産党賛美とも読めるから。しかもこの映画製作に中共の地方党委が省から鎮までかなり協力してをり、意図的に党に対する批判も蔓延るなか中共こそ人民の唯一の頼れるべきところ、と思はせぶりもあるかしら。前述の陶傑先生はこの映画絶賛しつゝも台詞の語彙の誤謬指摘し国府時代は指導者は「領導人」でなく「領袖」で、汽車は「發車」せず「開車」、「不殺不足以平民憤,判處死刑,立即執行」つまり「(悪い地方幹部を)殺さなければ民草の鬱憤収まらず死刑判決で即刻執行」なんてのは「共產黨語言」だ、と。ただそんなことも制作者が大陸の環境にあっては致し方ないか、と。この映画については先週末の『南方周末』の特集記事「一九四二, 虚构与真实」(こちら)と(日は下るが)信報(12月11日)の「《一九四二》:豫災與報禍」(こちら)がかなり読み応えあり。
小沢昭一さん逝去。享年八十三。新橋で数年前に、きっと試写会か何かからのお帰りの姿を拝す。何といっても「幕末太陽伝」とそして「エロ事師たち」。「TBSのラジオ番組で活躍……」と朝日新聞デジタル速報。「TBSのラジオ番組で」って確かにTBSは「小沢昭一的こころ」で長かったが、訃報でもっと言ひ方ってものがあるだらうに。