富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港市民図書館

fookpaktsuen2012-11-28

農暦十月十五日。晩に香港大学。大学の美術館で「百年聚珍:香港大學圖書館館藏展」と題した展覧会が明日から始まり今晩はその開幕式。何か記念品が貰へるか、と期待したが何もなし。珈琲紅茶と軽食程度で葡萄酒も無し。香港大学の図書館が開設から百周年、中文を主にした(日本語書籍もかなり収蔵する)馮平山図書館が八十年。展示のなかに日本軍が香港占領中の「香港市民図書館」の収蔵書籍二点展示あり。Garden RdのThe Helena May Institute for Women(梅夫人婦女會、写真右上)が占領当時の市民図書館だったとは今日まで知らず。記念品も酒もないので開幕式典始まる前に展示見をはり知己もをらずさっさと退散。FCCに往き独酌。読書。帰宅してシメジのパスタとサラダにチリのAmaynaのシャルドネ 08年合わせたらまさに「甘いや」。
▼香港政府に中央政策組(CPU = Central Policy Unit)なる組織あり。1989年に当時の香港総督直属の総督のシンクタンクとして発足、返還後は行政長官、政務司、財務司に意見提供、長官の施政報告の作成も此処。董建華二期目の2002年に中文大学から招聘した劉兆佳教授がこの首席顧問になってから発言力増してゐたが今年、劉教授は10年、貧官曽の退官に合わせ勇退。これに合はせ『回歸十五年以來香港特區管治及新政權建設』なる回顧録、商務印書館から上梓(購入して未読)。その後任が邵善波(1949〜)。言論人としてのスタートは李怡先生の雑誌「七十年代」だったが政治的主張が異なり袂を分け、その後は中共に接近、基本法諮詢委員会の副秘書長、1990年からは「あの」一国兩制研究中心の総裁となり全国政協委員。貧官曽二期目の2007年に中央政策組のフルタイムの顧問に就任。一国兩制研究中心から懇意の測量梁が行政長官になり首席顧問に抜擢。あまりに親共的なる立場で首席に抜擢の際から悲観的な噂あったが更に親共的なる高靜芝をばフルタイムの顧問に招き、中策組の職務も測量梁により単なるシンクタンクから言論と輿論の監察、政府を代替しての論戦、公共機構の管理職の人選と評価等まで幅広く執行と明言。あまりに中共の、まるで中宣部のやうな職務拡大。香港の中共化。これにつき練乙錚が昨日の信報に「中策組推新任務 好嗌得 V. 好打得」と題して寄稿(こちら)。練乙錚は信報の編集長から1998年に中政組のフルタイムに顧問に抜擢されたが2003年から香港の民主化集会に参加してゐることが取り上げられ2004年に解職。当然、劉兆佳時代の中政組の内幕に明るいが、劉兆佳の時から輿論監察は職務となっており、劉兆佳は大学や民間の反政府的なる世論調査や反政府デモ参加者の人数調査等に対して「中立で正確な」調査の実施を主張してゐた由。練乙錚はさうした中政組の政治化嫌ひ、当時、教育統籌局のNo.2だった(すでに政府内では親中派としてかなり力のあった)Funny羅笵に庁舎内で遭遇した際に「Central Policy UnitならぬCentral Political Unitか」と皮肉告げたといふが、当時すでにCPUはCentral Polling Unitに成り下がってゐた、と自嘲。本来なら行政長官に、公正なる判断下すためのセカンドオピニオン提供すべきCPUが政治化し世論や反対意見を攻撃するのは全くの勘違ひ。まさに中共的。

斯大林以降,共產黨人特別是毛氏信徒,都認為絕對權力可以自我完善,因此容不下任何反對人士和意見:反對黨當然是十惡不赦,體制內的批評意見和制衡機制,亦視為有害;反對聲音,不是無知,便是外國勢力指使,更需理直氣壯迎頭痛擊,遑論吸納。因此,今天的大陸才有中組部、中宣部、維穩辦、縠壩、網軍等一系列建制。回歸十五年,梁政府、中策組終於帶領港人回歸這種思維。

と練乙錚氏。ちなみに翌日の信報が今月上旬に行政長官府、高靜芝、民政事務局から各政策局の上級職に送付された機密メール暴露(三封密電策動政府變天 高靜芝實擁兩大任命權、こちら)。これには各局がそれぞれ諮問や法律問題で関わりをもつ組織の一覧表並びにその相手組織成員の資料の提出求めるもの。更に今後のさうした第三者機関への委託についてはいち/\中政組の高靜芝による批准を受けるやうに求めてゐる。香港政府な政務司の林鄭月娥が中政組はあくまでシンクタンクであり人事や政策決定に直接の職務は無い、と公言したが、これがまるっきり噓といふこと。

米国で富豪が富裕税提唱。ご立派。日本は消費税より高級品、嗜好品への物品税復活を!城南信金「理詰めで原発ゼロ」 URL 「お金中心に考えすぎ」と城南信金。ご立派。この信金の姿勢なら原発ゼロに向けたシンクタンク設立も驚かぬが慶大の加藤寛先生が反原発とは見直したっ! ところで「反原発」なのか「脱原発」なのか将又「卒原発」なのか。「卒業」といふ、もう「立派にやることをやって終はりました」な気分なんでせうが「卒」は「終はる」でも「卒倒」「卒命」など予期せぬ突然の終はりでもあり。じつは「脱」のほうが緩やかなのだが……。東京新聞こちら特報部)で田原牧記者が「タブー越えてでも書かなければ「橋下氏連載」佐野眞一氏に聞く」掲載。週刊朝日のあの特集でライターの佐野眞一本人のコメントなど全く出ぬことに「?」だったが、さすが東京新聞の牧ちゃん。佐野氏は「血脈」や「DNA」といふ表現は本文中には無く編集部が中吊り広告や表紙につけたもの、としつゝ「ハシシタ」なる呼び方は橋下の父方の取材先がさう呼んでゐたものでタイトルにこれを使はうと思ったさうで「関西の地名で「ハシシタ」が非差別部落を示唆するケースがあること」は今回の騒動起きたあとに知った、といふ。だが「橋の下」なんて如何にも差別的なのは漫画「明日のジョー」で丹下ジムが橋下にあったことで小学生でもわかる話。佐野の言説をそのまゝ「さうだったんですか」とは思へぬ。また、橋下の実父が生きた部落は解放運動が強い力を持ち徹底した平等主義が貫かれてゐたのに何故その息子の徹の思想が「力のない奴は生きている価値がない」と全く逆なのか、それを描きたかった、と佐野は宣はれるが、こんな差別と権威の表裏一体の関係など天皇制でも松本清張の『砂の器』でもジャーナリストなら東京都知事になるらしい猪瀬の書籍でもすでに言及されてゐること。佐野のコメントはあまりに言ひ訳的すぎるやうに思へるのだが。