富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

太陽の党の季節……馬鹿/\しい

fookpaktsuen2012-11-13

農暦九月晦日。或る人に「香港 日記」とグヾると富柏村日剩が一枚目の上位にあるが「香港 ブログ」でグヾるとかなり下になるので折角だからタイトルに「ブログ」とか入れてみては?といはれ数週間前にさうしてみたら翌日だかに二枚目に登場して数日前には一枚目になってゐた。なるほど、かういふ小手先の技で商なひの場合など検索で会社名がどう出るか、など営業額にも影響するのだらう、昔は職業別電話帳で会社名で数字を頭にしたりアート引っ越しセンターのやうに工夫したもの。晩にNHK歴史秘話ヒストリア爆笑問題の国立フィルムセンターの回を見る。前者は鉄道ファンには既知の話も少なからず、だが昨年の大震災のあと五日後には一部の区間で運転再開した三陸鉄道の当日の車内、乗客たちの姿には思はず涙誘はれる。
▼鏞記酒家に続き今度は香港楽器商のTom Leeで創業者の長男長女が父の覚へ目出たく楽器王国後継する末弟憎み財産分与権主張して父と末弟訴へる醜態曝す。確か八旬で今も尚、毎日、尖沙咀の会社に出勤される利翁は上海出身でひょんな偶然から友人の借金の返済代わりに楽器商譲り受け朝鮮戦争からベトナム戦争で香港に寄る米軍兵相手の楽器販売が順調、そんななか1970年に福引きで日本旅行当たった友人の代わりに夫妻で旅行、折角だからとヤマハ楽器に飛び込み堪能な日本語で商談持ちかけ香港でヤマハの総代理店となり大成功。尖沙咀一等地の本店は敷地から自社所有で支店も基本的にはビルのフロアの不動産も所有、無借金経営で商人の鏡。その晩節に泥を塗るかのやうに長男長女の欲は呆れるばかり。狙ふのは時価総額何十億の尖沙咀の土地でオフィスビル建設すれば地産獣の一角を担へるところ利翁は頑に不動産投機的開発拒み、それへの反発か。このまゝでは楽器商ひ継いだ末弟に資産の大部分がゆく、と焦ってのこの謀反。
石原新党「太陽の党」結成。結局のところデビュー作「太陽の季節」から何も進歩のない御仁。太陽の党の季節。それにしても「太陽の党」は岡本太郎が怒る。やっぱり「国家の存亡が第一」にしてほしかった。できれば党結成のプレス発表では日本国憲法の前文を印刷した障子紙でも八旬ながら見事に突き破って見せ意欲を誇示して欲しかった。それにしても石原の「このまゝではこの国は沈む。大同団結、それができれば(太陽の党は)消えても構はない」とこれは気持ちはわかるところ。
▼六月末日で二代目の香港特区行政長官辞めた貧官曽、小役人が行政長官になり横柄ぶりと商界との癒着関係で晩節を汚したが引退後は全くと言っていゝほど目立つ場所に姿を見せず隠遁の日々。が珍しく現れたのが富豪・霍家の跡取り息子の結婚式披露宴。霍英東(1923〜2006)は地場の蜑家(水上生活者)の出で貧困のなか若い頃は苦労したが朝鮮戦争の最中、中共への禁輸政策下、戦争物資や薬剤など大陸に密輸することで莫大な利益得て一躍、富商の一人に。60年代にはスタンレー=ホーと澳門の賭場利権を得て、その後は不動産や各種事業を拡大させ「赤い商人」として鄧小平の経済開放政策に呼応して中共への投資も積極的で1983年に広州に出来た初の外資系高級ホテルたる白天鵝賓館(White Swan Hotel、アタシはこの開業翌年、身なりが汚らしくホテルに入れず!)も、この霍英東。その英東はサッカー好きでアマチュアプレーヤーとしても活躍、スポーツ事業への援助もかなりあり息子・霍震霆は若い頃から(それくらゐしか才覚ないのだが)香港スポーツ界の首領。その息子が今回の花婿の霍三世(名前知ラズ)で花嫁が中国の飛び込みでオリンピック金牌選手の郭晶晶。で香港での披露宴は招待客千人の由。主賓卓は新郎新婦、霍震霆と前妻、董建華、貧官曽、測量梁と行政長官三代が夫妻で、それにヨルダン王国王子夫妻に澳門行政長官・崔某……といつた恥ずかしい豪華さ。