富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

日本ぢゃなくて個人でしょ、帰路に立つのは

fookpaktsuen2012-11-04

農暦九月廿一日。日曜だが晝まで診療のかゝりつけC医師のクリニックに先日「公立病院で処方されてる薬を持つてきてみなはれ」といはれてゐたので持参。高血圧のアムロジピンはいゝが、それで血圧は安定してゐるのだから今どき利尿剤の服用は要らない、といはれる。利尿作用はあつてもナトリウムなど身体が必要とする良性物質まで過度に排出してしまふ、とC医師は首を振る。糖尿は膽固醇(コルステロール)軽減のためGemfibrozil(ジェムフィブロジル )はいゝが公立病院で供するメトフォルミンはかなり廉価の薬でC医師にいはれせると「20年前ならマダしも」半年も服用して効果が出てゐないのだから、と同じメトフォルミンでもグルコファージといふ多少高価な薬を処方される。日本ではウラで「痩せる薬」なんて評判になつてゐたりもするらしい。今日も官邸で残務整理。帰宅して晩に韮のパイと焼きレバーを飰す。Ch. Haut Veyracの09年。録画してあつたビデオでNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン逆襲のシナリオ(第1回)岐路に立つ"日の丸家電"」見る。日本の家電メーカーの復活はある鴨しれないが企業のことであつて、もはやその会社が「日本」をアイデンティティにする時代ではないし、その「日本」がまるでイエスの背負ふ重い十字架か足かせになつてゐるのに。「日本の」「日本の」と「かつては……」「こんなすごい技術が……」とあれこれ繰り返して見せるが歴史的には「終はつてしまつたもの」をいつまでも、いぢ/\と、が好き。震災や核禍の記憶を!なら未だわかるがダメになった産業は、今更……。ソニーだ、シャープだ、パナソニックだ、と「崖っぷちの日本」と憂ひばかりだが欧州だつて考へてみればフィリップス一社くらゐ。と思ふとフィリップスと蘋果と、それに対抗するくらゐの会社が「亜細亜に一つ」でいゝだらう。喘いでもどーしようもない。もつと現実に冷静にならないとダメよ。
▼朝日の読書欄で『新幹線お掃除の天使たち「世界一の現場力」はどう生まれたか?』といふ本の紹介で

振り返ればバブルのころまでの日本には、これほど素晴らしい接客文化は存在していなかった。その後のバブル期の文化成熟を経て失われた二十年を過ごしてきた中で、日本社会はひっそりとこのような高度な生活文化を醸成してきたのだ。

なんて記述がある(こちら佐々木俊尚)。果たしてさうかしら、言葉が踊つてゐる。かういふサービスは「おもてなし」だの京都の旅館など、あるいは柴又帝釈天の門前でも或る人にいはせれば昔から日本の伝統。それがまるでバブル期の後の失われた二十年で、かうしたサービスが生まれた、なんて言ひ切る。それにかうした新幹線の徹底したサービスや、飛行場で旅立たうとする飛行機に夜でも雨風のなかでも整備士や貨物積み込み、誘導のスタッフが手を振る、あの「日本らしい」心遣ひは感動もあろうが「過剰」と思ふ人もゐるはずだし、少なくてもあれは高度でも「生活」文化ではない、とあたしは思ふ。日本のこんなサービスといへばFT紙の週末版でTyler Brûléはんが“Caesar salad days”(こちら)と書いてゐるのは銀座の資生堂パーラーで彼がその慇懃で親しみのもてるサービスと、その丁寧な客の前でのサラダづくりに、こんな文化があるのは東京(日本だけ)と絶賛するのだが、そのサービスを享受するための、お泊まりの六本木グランドハイアットにせよ資生堂パーラーにせよ単価がいくらなのか、も読者は考慮すべきなわけであるし。もつと現実にクールにならないとダメよ。