富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

甘健成先生ご逝去後、の鏞記

fookpaktsuen2012-10-27

農歴九月十三日。昼すぎに香港空港。信州よりH氏来港。空港よりタクシーでH氏投宿の西湾にあるホテルに向かふ。九龍の運転手でホテルの場所や道路に明るくないのも解る、が「よくわからないから道を教へてくれ」と言はれ道案内してゐるにもかゝはらず交差点で「真っ直ぐ」と指示しても東邊街ならこっち、と西に曲がつてしまふなど香港のやうに東西南北のわかりやすい地形でタクシー運転を生業にしてゐて「おい、大丈夫か?」といふくらゐの天性の方向音痴で呆れるばかり。土曜午後の道路混雑の中、1区画をぐるりと一周して(しかも途中で事故処理渋滞もあり)、二度目に同じ過ち繰り返したので「メーター止めて追加料金なしで走るべし」と命じたが「徳輔道はこの先、右折できない」と指示してゐるのに「大丈夫だ」と進んでしまひ右折出来ず、さすがにその先ずっと右折出来ぬことは感じたらしく無理矢理にUターンしてみせてくれたがメーター止めた時点で(高速とトンネル料金別で)HK$230だつたものゝ、こちらも迷惑被つてゐるので正確に道案内してゐるのだから間違はずに行つたらHK$200なのでHK$30も差し引いて支払ひ。運転手は不服さうでぶつ/\言つてゐたがアタシも年期が入つた。ホテル前に降車したら偶然にも「尖沙咀まで」といふ客が乗り運転手にしてみたらラッキーだがH氏と「きつと西隧道に入るまでに三周くらゐするのでは?」と呟く。H氏が部屋で旅荷解く間に正街の源記で緑豆沙。H氏とタクシーで中環碼頭。Z嬢も来て二階建てオープンバスのH1ルートで上環からハリウッドロード、香港大学まで周遊。乗つたのは二度目だが香港大学で折り返し……以前は薄扶林まで行つてゐたやうな記憶。まぁ香港大学から先は行く必要もない加茂。中環に戻り、そのバス停から今度は15系統で山頂へ。まだ暑いくらゐだが十月末で日は短く午後五時半だと、もう夜景。ピークトラムで下山のつもりが下りも長蛇の列、でタクシーで中環へ。今日いつたい何歩歩いたのかしら。FCCのバーで一飲。鏞記酒家に飰す。白はサンセールのDomaine Vacheronの11年。これが鏞記のあつさりとした豚足にまぁ合ふこと。赤は広東料理にはChâteauneuf-du-Papeということでシャトー・ラ・ネルトのキュヴェ・デ・カデット06年。鏞記は二晩前が二代目・甘健成先生のお通夜で一昨日が葬儀。先代未亡人は長男の死は次男らの不義によるもの、と怒り心頭、次男らは葬儀後の鏞記での解穢宴にも姿見せず。葬儀には久々に尊顔拝したが蔡瀾、そして唯靈、アンソン陳方安生ら著名人も参列。顔見知りの経理に鏞記創業六十周年のときの記念冊子見せられる。本来であれば来月が七十周年だが二代目の逝去で見通し立たず。今晩は見世に次男の長男(右の写真、シャツ姿)が姿見せ経理とフロア眺めつゝ何やら談義。次男の方が鏞記を制して経営権握るのかしら。いずれにせよ二代目の頃より今後この食肆が良くはる理由は一切ないことだけ、は確か。燒鵝とて「茶餐庁だつてもつとマシな燒鵝供す店あり」だの言はれたり。タクシーでH氏を西環のホテルにお送りして帰宅。