富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

鏞記甘健成先生急逝、哀悼

fookpaktsuen2012-10-09

農暦八月廿四日。晩六時には暗くなる。ガキばかり目立つ旺角のMTR站でZ嬢と待ち合せ。旺角で待ち合せは初めて鴨。雰囲気的に苦手な(って若者相手だから当然お呼びでない)朗豪坊の池記で雲呑麺。同じ池記でも経営元がいくつかあるやうで昔の銅鑼湾の時代広場が出来る前の池記に比べたら月とスッポン。この商業ビルの映画館で映画「テルマエ・ロマエ」見る。監督は武内英樹阿部寛主演。アドリアヌス帝に大・市村! 漫画はきちんと見たことがないが(原作読んだ人には物足りないかもしれぬが)可笑しくてけっこう笑つてしまふ。香港の若い観衆はみんな日本好きで日本の風呂文化などよくわかつてゐるから笑ひどころのツボ押えてをり好評。たゞ先週、香港での上映始まり油麻地のBroadway Chimematiqueで見るつもりが昨日で上映終はつてしまひ、それで旺角に来た次第。帰りのミニバスで測量梁と新政府支持求めるポスターあり。今更この測量梁支持など余っ程の親中派団体で、その一つが権益がらみのミニバス経営業界。
▼香港代表する食肆、鏞記酒家の二代目経営者・甘健成先生急逝。五日。享年六十六。父で鏞記創業の甘穗煇翁の後継で経営に尽力。料理についての吟味厳しく鏞記で屡々、経理集め賄ひ飯=試食の光景を窺つたが真剣そのもの。毎日きちんと出勤され現場監督。フロアが忙しいところ眺める目の厳しくも客への感謝の尊顔忘れられず。穗煇翁は三人の息子に恵まれ財産、経営権を少年時代から店で育ち父を手伝つた長男(健成)、カナダで経営学学んだ次男(琨禮)と三男(琨岐)が45、45、10の割合で相続。まるでシェークスピアリア王のやうに話が始まるのだが2004年に享年96の長壽で穗煇翁他界、2007年三男早逝。三男は経営権をば末妹に譲渡し次男が末妹からその10%譲渡受け55%で半数を制し自分の息子、娘まで鏞記の経営に参画狙つたことで兄の逆鱗に触れ健成先生は経営母体たる「鏞記控股」の解散求め(つまり所有の財産だけもつて出ていけ!と)裁判沙汰に。高等裁は健成先生の控訴受理し、その係争続くなかまさかの急逝……哀悼。正直なところ六十六歳といはれると数ヶ月前に尊顔拝した際にはずいぶんと老けて見え小柄な方だつたが昔の英気なし。弟の謀反と裁判でどれだけ憔悴されたことか。今、実際に食肆を切り盛りするのは健成先生の娘。これから未だ家族で相続争ひ続くのかしら……と思ふと客の一人としても歯がゆいものあり。旧知の経理にやうやく今日になつて追悼のメッセージ送り余計なこと、とは思ひつゝ「相信今後無論哪一位成為經營者,你和你事都一定會秉承甘先生的精神,繼續經營好鏞記酒家!」と部外者ながらに気持ち託す。
▼十月一日国慶節晩の観光船と離島フェリーの追突海難事故。暗い海で衝突とはいへ観光船が沈没、沈没とはいへ逃げ場あるはずなのに39名だかの死者と多数の怪我人。その原因が何か、とかなり奇妙。今日の蘋果日報によれば観光船に船首から衝突したフェリー(小型ながらジェットフォイル船)が四十秒後に動き出してゐることが近くを航ゐでゐた船の電子機器がとらえてをり、つまりエンジンを止めてゐたフェリーが再びエンジンをつけて観光船から船首を抜き現場離れた由。あり得ぬ判断だが、それで観光船は船体に開いた穴から大量の水が入り船体の重心が崩れ水没。さらにジェットフォイルからの大きな波と渦巻きで観光船から海に飛び込んだ、放り出された乗客が溺れたのではないか、と。まさに二次災害の恐怖。ジェットフォイルの船員の判断はいつたい何なのかしら。