富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

糖尿病ですよ。

fookpaktsuen2012-10-06

農暦八月廿一日。朝食抜きで朝七時にブムルンラード病院。恒例の健康検査(アタシはあの「人間ドック」といふ言葉が嫌ひ)。前回は2011年の12月にチェンマイラソンの帰路。相変はらず朝から国連*1の如し。施設の拡充は進み新館11階にあるこの健康検査フロアから見下ろしても(写真の通り)10階は高級なフードコート、その下のフロアは高級職員用のスタッフフロア。こんな施設、日本の大病院にもないだらう。受付が済んで最初に会計なのだが会計で使つてゐるスタンプがスタンプ好きのアタシには気になる。観光記念や鉄道スタンプを小学生のころに集めてゐたが今でも手帳にあちこちでスタンプを押す。大人がやつてゐると多少、恥ずかしい場合もある<スタンプラリーの時など。今回のタイ旅行では一度もスタンプ押せず。観光地に往つてゐないから。でこの病院の会計のスタンプが気になるが公的な会計部のスタンプなので無理だらう、と思ひつゝ「あの〜、スタンプ押してほしいんだけど」と手帖を出すと「いいですよ、カァ〜」と手帖にスタンプ押してくれ「もう一つありますよ、カァ〜」と押してくれた。嬉しい。検査は日本の人間ドックに比べればかなりさっさと進み2時間余であれこれ検査が済む。心臓のストレス検査でまたトレッドミルで走らされたが心拍数140まで走るのだが多少の傾斜をつけ、なかには看護婦に腰を押さえられヒー/\いつて歩いてゐるメタボなオジさんもゐるがアタシの場合はウソでもトレッドミルで走るのは慣れてゐるのでなか/\心拍数が上がらず。結局、傾斜を16%まで上げ6.7km/hで12分後に漸く心拍数140となる。かなり効率的に進む諸検査だし検査結果も全てデータ化されていくのだが、この病院は「人の流れ」は全部、カルテのファイルが動きアナログで看護婦が誰彼を呼び何か検査の指示をして次の検査に進む。最後の医師からの総評が一番混むのだが(こゝだけは一時間近く待たされた)まぁ看護婦の客の捌き具合が混沌としつゝ何かの調和のなかで動いてゐるから不思議。地面で見ることの出来るアリの集団行為に似てゐる。これもタイならでは、か。日本のヘンな几帳面ではこのシステムは絶対に滞るだらう。まぁ客に番号を与へ電光掲示板で098番は次は何処、とシステム化すればいゝのだらう、がそんなシステム化するなら看護婦主導のアナログ式で出来てゐるのなら、これでいいといふ判断か。検査の結果、日本人のH医師に若いころからよく注意されてきた中性脂肪、肝脂肪は基準内に収まり立派なものだが問題は血糖値。前回115mg/dLだつたものが126mg/dLで「うーん、高くなつてゐますね、このまゝいくと糖尿病になるリスクが……」といはれたが、すでに高血糖で服薬してゐるのだから、それを改めると医師に「そうですよ、お薬飲んでゐてこれなんですから、糖尿病ですよ」と先生。ついに初めて糖尿病との宣告。がーん。たゞ血中グルコース濃度などは正常なので合併症のリスクは低いですから、と。でも単発で高血糖値なのは事実。そりゃ痩せるのも当然、突然の大喰ひ欲、疲労感、頭痛など……。困つたもの。4時間余で検査了り病院近くの食堂で軽く昼食。ホテルに戻り昼すぎに庭の樹林のなかにあるジムで小一時間、トレッドミルで走る。午後、Z嬢とプロンポン。アタシは初めて来たが日本人相手にこんなに小売店、サービス業がぎつしり揃ふとは。周囲のマンション(曼谷ではコンドミニアムも多いか)からスクムウィット通りまで出てくるトゥクトゥクやマンション専用の送迎車は日本人ばかり。さう言つては失礼だが「でれ〜」って感じが曼谷ならでは。不思議な光景。古本を含め本屋が多いのも退屈しのぎ的には香港などより読書、となるだらう。上海などの漢字圏、倫敦や紐育、LAなどの英語圏、その両方を兼ねる香港や新加坡では想像のできない光景。Z嬢と別れ午後遅く、知己のL氏と約ありAsokで歓談。早晩にSilomに出て路地の馴染みのパブで麦酒飲む。中国大陸人の観光客が目立つがBTSのホームでも、まぁ賑やかな、と思つたら北京語も華やかにピーチクパーチクとカラフルなおネエサンさんたち(笑)。Z嬢と待ち合はせプラトゥーナムにある、いつもの海南鶏飯カオマンガイ)の食堂で夕餉。名前がわからないが地元の人も「ピンクの従業員シャツのカオマンガイ屋」と呼べば此処ださうで、調べてみるとข้าวมันไก่ ประตูน้ำといふ(読み方は知らない)店で「ラーン・ガイトーン・プラトゥーナム」と読むらしい。繁華街避けホテルに戻り毎晩のことだが午後九時には早寝。折角の旅行中だし夜だから賑やかな曼谷を漫ろ歩けば、と自分でも思ふが、さういふ意欲もない(糖尿病の所為ではない……笑)。
タイ王国について。だうしてタイにチャクリー王朝が近代君主制として安定したのか、戦後の不安定期と前王の謎の死、傍流であつた若君(のちのプミポン国王)がスイス留学中から呼び招かれ国王になつてからの強力な王制・尊厳の建設と治世。誰がこれを構築したのか……当然、即位後は王様の人柄だらうが設計図段階で。何より米国の影。なぜ米国がこれほどまでにタイで「全く地味で表面に出ぬまま」力を握るのか。たんにベトナム戦争の後方拠点にあらず。米国大使館の規模だけ見てもアタシはこんな大きな米国大使館を他に知らない。Witthayu Rdも米国大使館のあるブロックのみ(つまり同じ通りでも南のルンピニ公園に近い日本大使館や北の英国大使館のブロックは異なる)本通りと測道が整備されてをり街路樹も見事だが、これは有事の際でも国賓の来泰でも道路の車線を上りにでも下りにでも専用にできる構造でせう。君主制をとる国は倫敦の日本大使館や東京の英国大使館など君主国の在外公館の待遇が最高なのだが(香港も英国領時代に、戦争で敵対した日本に対して!戦後、総領事公邸に山頂の好立地を提供してゐる)曼谷は例外的に米国が最優遇。ちなみにWitthayu Rdは北から英国、スイス、ベトナム、オランダ、米国、日本……と大使館が並ぶが何よりも米国、君主制をとる英国と日本、中立国かそれに近いスイス、オランダと戦後、ベトナムといふのも興味深いところ。

*1:アタシは国連、「国際連合」といふUnited Nationsの和訳もヘンだと思ふ。第二次世界大戦の「連合国」が発展解消したものだが日本は「連合国」ではアレルギーがあつたのか、たゞ漢語的には「連合国」でもいゝが日本の漢字語では「国連合」「国家連合」の方が適切だらう。