富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Phu Chaisai Resort

fookpaktsuen2012-10-02

農暦八月十七日。The Chediといふこのホテル、建築家の哲学と美学がこゝまで徹底された建築も珍しい(こちら)。豪州のKerry Hillといふリゾート建築では著名な建築家(こちら)の作品。それは建物の設計から調度品、カフェの小皿から蝋燭立て、フラワーアレンジまで全てに貫徹。ご立派。使ふ者に何かを強いる。安藤忠雄の「住吉の長屋」ぢゃないが多少の不便も致し方ない。たゞホテルとして客室の使ひ勝手の悪さはどうにかならないかしら。廊下に面した木の格子扉は、それを開けると玄関あり靴を脱いで更に木扉開けて客室に入るが、この格子扉が鍵を開け片手では開けられぬ設計。洗面所の蛇口が中途半端な高さに固定で洗顔に不適。客室の壁ぎわに快適なソファあるが照明がなく暗くなると使ひものにならず。バルコニーに出るのに簾が邪魔になつて出入りも不便……と客室にはいくつも使ひ勝手悪しきところ目立ち、これは困つたもの。一寸した工夫で、けして建築家の発想を壊すことなく改善できるのだが。今日で香港の四連休は終はり、だが香港に返るか、といふとさにあらず。まだ旅は続きチェンマイから今日は清莱(チェンラーイ)へ。宿を九時半に退房してサウテウでアーケード(バスターミナル)。北部のバス交通をば席巻しさうなグリーンバスのVIPバスでチェンマイ発ちチェンラーイへ。チェンマイ出で半時間ほどで県境となる山越へ。雨。国道118号線からバンコクと北の国境、チェンセーン結ぶ国道1号線に入り13時の予定が20分遅れでチェンラーイ市街のバスターミナルに到着。ホテル迎へのリムジンはスズキの軽自動車で45分、約45分でミャンマー国境まで10数kmの山間にあるPhu Chaisai Resortに下榻。限りなく最小限の設備とエコロジーで自然のなかに棲息するか、の如き有閑施設。客室も素朴、テレビも御座ゐません、もテレビなんてあつてもホテルで見た試しのないアタシなのだが、このポリシーが嬉しいかぎり。部屋のバルコニーからは絶景かな、絶景かなの山岳風景。夕方、嵐のやうな雷雨。停電。黒雲の流れ追ひつゝぼんやりとタイブランデー飲む。気温がぐっと下がる。摂氏23度くらゐ。電気が来ないがiPhoneはまだ活きてゐたのでレッドツェッペリンを聴く。アタシの子どものころは、この一帯はゴールデントライアングルで川口浩東京12チャンネルの金曜スペシャルだつたかしら、で命がけの決死の取材試みた罌粟の世界的生産地。ミャンマーラオスと近く戦火での不安定で難民や密入国も横行したが今ではミャンマー経由で陸路で中国との重要な経済幹線。なんて平和(さう)な時代なのかしら。こんな地域の経済復興の一環に、と或る高貴な奥方が山間にこのリゾート建て就業の機会提供。それにしても山の奥。虫語聞き遠くのヤモリが啼くのまで聞こえる静寂。宿泊客は二つの山の谷間で「ほとんど貸し切り」とマネージャーS氏に言はれたが、ほんと二、三組かしら。夕食で野菜の本当に美味しいこと。サラダも、炒めた青菜も、ネギや大蒜まで、このあたりで収穫されたものばかり。夕食の赤葡萄酒に酔ひ心地よく二更に入ることには就床。
▼今頃になつて岩波『世界』九月号読了。特集の巻頭、柄谷行人氏「人がデモをする社会」が話題となつたがデモはあくまで政治的行為の手段であつて目的ではない。それが、だうも久しくデモのなかつた日本では雨宮処凛が20万人集まつた六月二十九日の官邸デモで20万人といふ参加者に「生きていてよかった」とさゑ思つて感涙は「生きている間に、決して目にすることなどないと思っていた光景」と同誌に書いてをられるがデモはあくまで手段だと思ふと感激は原発再稼動をば政府(財界)が渋々でも認めて、の時のはず。香港では50万人デモで北京欽定の行政長官(董建華)を事実上失脚させ今年は国民(愛党)教育すら事実上の撤回までさせてゐる。これが市民運動でありデモ。日本で反原発はあまりに(米国と財界が相手だと思へば)実現は難しいが、だからこそ今、感激せずに国民的運動にしなければならないのだらう。七月十六日の代々木公園での「さようなら原発」は呼びかけ人などのスピーチを『世界』だから丁寧にフォローしてゐるがマスコミ社会論の佐藤先生の指摘(東京新聞・論壇)にあつたが坂本龍一の「たかが電気」は敢へて市民集会で扇動的だつたの鴨しれぬが確かにあまりに短絡的。「たかが電気」とはいへないくらゐアタシたちは電気の依存してゐるし「YMOだつて電気が無かつたらどうするんだ!」で、まるで反原発が正義で原発容認であるとか、東電が全体として「悪」としてしまふことは寧ろ怖い。東電でもとても良心的な研究者だつてアタシの友人にもゐる。政治も日本の体制も社会も全て、かういふ現実になつてゐるのは責任は東電でも自民党でも財界でもない。同誌で元外交官の東郷和彦氏が「村山談話再考」で(これぢたい興味深い記述だが)そのなかで「きけわだつみのこえ」から引用してゐる

苦情を言うふなら(戦争責任は)敗戦と解つてゐながらこの戦を起こした軍部に持つていくより仕方がない。しかしまた、更に考へを致せば満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。

の学徒兵(B級戦犯として新加坡で処刑)の言葉を読めば、まさに今は原発の問題で東電がこの軍部のやうな存在。実際に東電の責任は免れないが、その「たかが電気」に原発政策容認してきたのがアタシたち国民だらう。
▼『世界』同誌で片山善博の連載で民主党についての分析が面白い。マニュフェストとは有権者との約束で、自民党のこれまでの公約反故を非難してきた野田が政権に就くと党のマニュフェストに書いてゐなかつたのみならず自らが絶対にやらないと公言してゐた消費税値上げを、こともあらうに「大義」だとして「政治生命をかける」とまで言ひ出し、民主党はマニュフェストに書いてゐなかつた消費税値上げを「命がけ」で実現するためマニュフェストに書いてある殆ど全てをまるで身ぐるみ剥がされるやうに失ひ、もはやマニュフェスト語る資格のなくなつた民主党は総選挙で政策を掲げる術がない、と。ご指摘の通り、で更に片山氏は野田がどうしてかうも官僚の言ひなりになつたのか、菅丞相への多少の評価も興味深い。