富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

トゥクトゥクで葬送される

fookpaktsuen2012-10-01

農暦八月十六日。清邁三日目。今朝もカエルの合唱で目覚め夜明け。暁天が美しい。朝食開始は七時でまだ二時間もあるから。午前中は無聊。市場に布など買ひに出かけるZ嬢送り出してジムで小一時間走る。走るときはだいたいピンクフロイドツェッペリン聴いてゐるのだがアタシのトレッドミルでの時速7kmのゆくつりの走りは(言ひ訳にしかならないが耳の三半規管が狂つてゐるのか真っ直ぐに走れない精神的なものか、いづれにせよトレッドミルは平衡感覚失ひ易く速くは走れない)ツェッペリンの“Going to California”のテンポが丁度いゝやうだ(断つてをくが4拍子でなく8ビート)。昼すぎに出街。Z嬢と一昨晩に飰したLa Viliaで待ち合はせ。本当に此処のベジピッザは美味。サウテウでニマンヘミン通り。Z嬢お買ひ物で此処までつき合つたが乗物に乗りたいだけ、のアタシはすぐにZ嬢と別れ漫ろ歩き。陋巷をば彷徨ふ。整体のできる按摩見つけ一時間の按摩。市街の花市場で止まつてゐたトゥク/\拾つたらホテルまで฿40でいゝけど数分待って、と何かと思へば葬式の供花の配達……何だか霊柩車に乗つてゐる如し、路上で結構目立つて笑はれる。ホテルに戻ると丁度、Z嬢も戻つたところ。ハノイでもチェンマイでも徒歩とバスで一人歩きするからご立派。ワローロットの市場で中途半端に日本語話すオヤジに話しかけられ工芸品の工場をもつてゐて小売りより安いから一緒に来ないか、などと誘ふといふ。別に危険な感じはせぬがZ嬢は年をぴったりと当てられ「アナタね、普通は女性に年も聞かないし、かりに年を読むにしても10歳くらゐは若く言うものよ」と相手を叱つた由(笑)。昨晩に続きホテル近くの ทับทิมกรอบ เจ๊อ้วน といふ食堂で夕餉。この豚の串焼き団子秀逸。食卓が全部、ミシン台の再生なのに昨晩は気づかず。昨晩、近くの古い酒屋で購つた地元ブランデーのリージェンシーは฿240だつたが今晩セブンイレブンで見たら฿346もする。やはり酒は酒屋だ。客室から十六夜の名月を愛でる。
▼香港の競馬で国慶盃は重賞といへば、でムーア調教師のPacking OK(包裝選擇)、ドゥルーズ騎手が優勝。アタシはこの馬主の「包裝」系馬は一度も買つたこともない。一番人気は同じくムーア厩舎で畏友H君ご両親所有のAdmirationだつたが五着と揮はず。アタシは今朝、新聞と睨めっこしてSupreme Winから流したが八着で今期初めての馬券は外れ。
国慶節の連休で中国からのツアー客が地元ガイドと行程のことで口論となりガイド殴り、晩の国慶花火では花火見物のボート二艘が衝突して12人溺亡、19人失踪の惨事。何だか災ひ多し。さすがの大公報、文匯報など左派紙も翌朝の紙面は国慶を祝へず一面トップはこの海災記事。ただし香港商報は執拗に測量梁ヨイショの提灯記事はご立派。
▼香港での愛国愛党教育反対!は運動として成功してはゐるが(昨晩も中秋の名月は高所から、とピークに上がり行政長官・測量梁の自宅前で月見始め測量梁は帰宅能はず……笑)、今朝の国慶節の国旗掲揚儀式@紫荊花広場は中国政府と軍、香港特区役場が勝手にやつてゐるのだから、そこに學民思潮の学生諸君がお練りは不要。余計なことをして反体制団体化せず、あくまで「教育の自由」に徹することが賢明。調子に乗ると教条主義で道を失ひサヨクにありがちな権威主義=それこそ中共的!になるぞよ。
バンコクポスト紙で王立学士院士のPrasert Na Nagara教授の長文インタビュー“A lifelong love of learning”(こちら)読む。1918年生まれで93歳、まさにタイ現代史の生き字引。元々の専門は工学だがタイ言語、タイ歴史や文学など独学で、日本でいへば加藤周一的。このナガラ教授のことはこのインタビュー読んで初めて知ったが、この先生の学歴が興味深くタイで大学まで出たあと修士(工学)は1939年にフィリピン大学。当時、フィリピンはアメリカが実質的に占領してをり英領香港と並ぶ安定と反映。東南アジアの学究の徒がマニラに向かう知の流れがあつたこと知る。