富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

幸福的黃手絹

fookpaktsuen2012-09-24

農暦八月初九。朝から雲行き怪し。夕方、かなりの本降りとなる。夕餉に肉骨茶。夜半まで雷鳴り止まず。
自民党は何だか実は安倍晋三優勢なんださうでアタシは晋三でさへなければ生まれて初めて次の総選挙は自民党に投票しようかしら、と丸でルペン旋風のときの「鼻を摘んでもシラク」と苦渋の決断の仏社会党支持者のやうなことも考へてゐたのだが晋三ぢゃ真っ平御免。金澤のH君が書いてゐたが晋三って

自民党保守政党だという位置付けを強調するべきです。平成二十二年に出した自民党の新しい綱領は、非常に保守的な内容で書かれており、先日とりまとめた憲法改正草案も、前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴く国家』と記し、国防軍も明記しました。ところが、そのことが一般の国民にほとんど伝わっていないのです。支持率が回復しない要因の一つが、ここにあると思います。*1

なんて、H君のいふ通り「危機での極右登場」なら1939年の平沼騏一郎内閣以来の神がかり。これが橋下ならぬ「嘴舌」の維新と組んだら、と思つたら最悪。晋三に比べたら今になつて思ふが森さんの「神の国」発言のほうが、まだ観念論でマシかしら。
重慶騒動顛末。成都米国総領事館駆込みの王立軍、公判で四罪囚十五年、稱用餘生彌補傷害の由。収賄罪のポーションは三百万元で懲役九年。上海の党書記長だつた陳良宇の二百四十万元で懲役十四に比べれば重からず計15年の実刑は中国にしては緩刑かしら。殺人容疑の薄熙来妻は死刑でも執行猶予つき(笑)……中国司法は至宝。それにしても成都でのこの公判の裁判官、検事がこれまた見た目から頼りない。一党独裁で司法などどれだけ骨抜きにされたか、の証左。いずれにせよ十八大に向け江澤民閥と胡錦濤閥が凄まじい人事抗争中で薄熙来も結局のところ習近平国家主席就任で最も邪魔な党中央幹部の追ひ落し。この宮廷劇に比べたら尖閣問題などあまりに小さい。
▼日曜日の蘋果日報(蘋果樹下)に嚴家祺先生「幸福的黃手絹」(幸せの黄色いハンカチ)掲載あり。これは必読(こちら)。一九八九年、中共は十一期三中全会で復活した鄧小平の後押しで胡耀邦が改革開放進めてゐた頃、北京で葉剣英の主催で改革派知識人集め一ヶ月に渡る研究会開催され嚴家祺ら知識人は昼間は討論、夜消に外国映画の上映あり、そこで山田洋次監督の『幸福的黃手絹》など見たといふ。研究会初日に鄧小平が現れ「不要設禁區,不要下禁令」と謳ひ、これが中共にとつて初めての非「毛」化。会議では毛沢東の反右派闘争、大躍進、反右傾、文革等の誤謬が語られ、毛沢東故人崇拝からの脱却など自由に語られたといふ。嚴家祺はこのときの様子を

二十多天的漫長會議,就像《幸福的黃手絹》的主角島勇作剛剛出獄一樣,期盼着看到「幸福的黃手絹」。一路上,島勇作忐忑不安地期盼着盡早回到家,卻又擔心看不到黃手絹。「理論務虛會」的大多數與會者,可以說是從毛澤東時代「思想禁錮的監獄」剛剛出獄的人,大家同樣懷着不安和期盼的心情。不安的是,一九五七年反右的陰影沒有消失,期盼的是,希望見到一個思想自由的、幸福的新時代。

と追憶。プラハの春ならぬ北京の春。しかし自由はそこまで。魏京生は北京の西単の壁に「要民主還是要新的獨裁」と毛沢東に変はり鄧小平の独裁が指摘され魏京生は被捕、鄧小平はこの会議に対して「堅持四項基本原則」と講話、この会議も散会。会議のメンバーたちの意見も別れ、徹底した民主化路線をとる者もゐれば胡喬木のやうに鄧小平の「堅持四項基本原則」起草する体制擁護派もをり鄧力群もこの一派となる。そして一九八七年一月の胡耀邦更迭。さらに一九八九年の「六四」の後,胡喬木も党中央の理論界から遠ざけられ「四項基本原則」を自己否定。香港の雑誌『爭鳴』今年四月號によれば九十七歲の鄧力群も中共を脱党の由。

*1:安倍晋三「『安倍晋三再登板待望論』に答える」、聞き手・百田尚樹、『WILL』10月号