富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2012-05-19

農暦四月廿九日。土曜だが出先で高座一つ。午後も二時間余の打合せ一つ。体調芳しからず土曜も開業のC医師の診療所に寄りGastro-enteritis(胃腸風邪)の診断受け処方薬いたゞき帰宅。白飯魚でおじや。雑炊「おじや」は西班牙語のオジャ(Olla)が語源とか。
▼「陈光诚即将离开朝阳医院前往机场赴美」とVOA華盛頓から速報。

山东盲人维权人士陈光诚夫妇及儿女将于北京时间今天(星期六)下午1点离开朝阳医院,前往美国纽约。陈光诚对美国之音表示,他们的护照仍没拿到,估计稍后会有人送给他们。目前他们一家正在收拾行装。美国之音将及时跟踪报道。

一人の人権はこれで救はれたが中国が国家として何一つ変はらず。
▼星加坡の競馬は明日が星加坡国際。昨晩の競馬でシンガポールギニーズのこのSuper Easyの強さは何だ?(こちら)。斉藤さんの記述によれば星加坡で三歳馬の三冠制覇の由。
▼「なぜ日本人は、こんなにたくさん、俳諧・俳句、和歌・短歌を詠んできたのでしょう」と「名歌名句大辞典」(明治書院)刊行を機に久保田淳(監修)と長谷川櫂俳人)が対談(週刊読書人五月十一日号)。長谷川氏が常々不思議に思ってきましたが、と述べるは

外国と比べた場合に、言葉の所有者が違うのではないかと思うんです。西洋は言葉はもともと神のもで、勝手に使ってはいけなかった。神の言葉を預かっていた人が、言わば預言者で、それが西洋の詩の原型になっている。しかし日本には、言葉を根源的に所有する神のような存在がないので、各々がプライベートなものとして言葉をもち、自分の気持ちや見たことなどを、自由に表現することができた。ドナルド・キーンさんが「日記文学」は、日本だけのものだといっていますが、言葉を自分のために使うという習慣がもともと日本人にはあって、それが、詩歌の隆盛をもたらすものでもあるのではないかと思います。

確かに。神の不在。勝手。面白いのだが神の不在が(釈迦の受容に甘え)何でもどうでもよくしてゐるところあり。ところで西行

願はくは花の下てに春死なむその如月の望月のころ

の歌を持ち出し久保田氏が山家集に入つてゐるから亡くなる数年前の歌のはずで西行の晩年は謎に包まれてゐるが亡くなった建久元年二月は十六日が満月、歌と死にかたみの見事な一致が西行をたゞの人ではない、とするが……と述べ長谷川氏が

「如月の望月のころ」はお釈迦様の命日、できたら櫻が咲いていたらいいなということですよね。陽暦でいうと如月の望月は三月十五日辺りです。でもこの次期にはまだ櫻は咲かないですよね。旧暦は年によって一ヶ月ほど動きます。もしかしたら西行は偶然にも陽暦の四月十五日ぐらいまで暦が遅れた年に亡くなったのではないかと想像するのですが。

えゝい、まどろっこしい。なぜいち/\陽暦で語ろうとするのかしら。素直に「西行は閏月があり如月の満月がかなり春遅くなった年に亡くなったのではないか……」と言へばいいのに。