富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

荷風散人の検印

農暦四月十七日。香港政府ナンバー2(Chief Secretary=政務司司長)の林D9(林公公)が引退、オックスフォード大學で神学探求の由。当り障りなき官僚だつたが董建華と司法牛耳る梁愛詩に嫌悪感のアンソン陳方安生が緩和剤的に林公公をば登用し政府ランクでD3からD8までの出世。人間録音機と綽名されるほど公式見解繰り返すばかりでかなり嗤はれる存在だつたが、その誠実さ?で貧官曾にも可愛がられ政務司だつた唐紅酒英年が行政長官選挙で政務司退き、その後釜で抜擢されD9に。[ずつと嗤はれ続けるキャラだつたがリリーフ役の政務司で何度かこの人のスピーチ聴く機会あり、原稿も見ずにじつにきちんと深長なるそれなりの内容に鳥渡どころかかなり感心。役目命じられば真面目に職務こなす人柄なのか、すると董建華更迭で棚ぼたで臨時行政長官に任命され居座つた貧官曾の如く意外と重用続くか、と思つたが次期行政長官の測量梁の覚へ目出たからず、で他の官僚が政務司の下馬評に挙がり、の引退決意の由。晩七時四十五分まで十二時間近いご執務終へ北角の寿司加藤。下北K氏と一酌。維納に遊び帰朝の久が原T君より報せあり荷風散人養子の永光さん逝去と知る。荷風の従弟、桝屋五叟次男。三日の読売(こちら)などに弔ひ記事あつた由。ふと書架にあつた何冊かの荷風散人著書奥付の著者検印見てみると昭和二十八年の昭和文学全集(角川)の永井荷風集は「永井」で散人ご本人。昭和三十三年の荷風日記(東都書房)の扇子の「荷」はなか/\イキだが、この翌年にご逝去。岩波の全集(昭和四十六年の第二版)の「永井」は永光さんの押印なのかしら。そのアトになると著者検印なんて悠長な行為も廃る。それにしても読売の記事、永光さんが銀座でやつてゐたバー遍喜舘に触れてゐるが麻布市兵衛町の偏奇館には触れず終ひ。今の若い方など、もしかするとこの記事書いた記者も偏奇館のこと知らず、なら遍喜舘の名の由来も解らず。ところでアタシはこの五叟次男氏のことより気になるのは戦後、荷風の何かと面倒見た小林修青年のこと。余丁町散人のブログに川本三郎氏の記述が詳しい(こちら)。