富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦四月十六日。日曜だが今日も官邸でご執務。明日まで、といふ案件がいくつもあり。焦つたのか我ながら唖然とするやうなポカ一つ。この修復だけでも少しまた労力が……。精神安定にウヰスキーぐいっと呑む。先週のQE II Cupではかなり立派な競馬が出来たが、今日の国際G1のチャンピョンマイルは、まさかエクステンション勝利でアタシはデュバイ免税のシティスケープに掛け散々。帰宅して自家製コロッケ揚げて飰す。豪州のシラーズ(EldertonのNeil Ashmeadと名前いたゞいたシラーズの08年)はこれに合つたが食後に小布施の杏グラッセもまたこの葡萄酒にかなり相性好し。このグラッセいたゞいた長野の小太郎さんにfbに載せたら(写真)水戸のJ君から「弥勒菩薩もグラスに飛び込むほどみろく的なのですね、杏グラッセとワイン、ワイングラスの逆さ弥勒菩薩をまさかシラズに?」と。あら、ほんとだ。弥勒菩薩の左にあるのは東大寺の薬湯。右後ろには金刀比羅宮参拝で御神酒「金陵」で購つた徳利……と陋宅のこの一角がやけに神様仏様づいてゐたことに気づく。
▼宮台&神保両氏の対談をばネットで聞いてゐたら、政治もダメ、原発の対処もダメ、ダメ、ダメ、ダメ……の主因が結局のところ幕末から明治前半にかけては尊王など心にもない連中が天皇をば担ぎ(あるいは天皇を替へ?)方法論として立憲君主制の国家をば造り動き出したが日露戦争で無理矢理な国家主義天皇主義が始まり、大正の頃に一時、モダニズムの萌芽もあつたが昭和になつてのあの時代……と、それが戦後は米国に引導を渡し、で、やつぱり結論は近代市民革命を経ぬまゝ発展してしまつた畸形さに往き着くやう。昔は一木一草に神がをり八百萬の神に仏様、お天道様の見てゐては、だつたが今のこの信心もなき時代。それぢゃ今更もう何ら打つ手無しぢゃない。強いていへば先日、紹介した樋口陽一先生の語られる積極的な近代日本の立憲制くらゐが唯一の救ひなのだが「改憲で国の立て直し」の方々にはそれも通じまひ。ところで神保氏ほどの方が「日本の良いところ」として女の子が深夜に歩ける、花屋が夜も花を店頭に置いておける、こんな安全な国は日本だけ、と。そんな……香港だつて女の子は夜中歩いても安全だし筲箕灣の花屋も花なんて片付けぬ。こんな安全神話があることが不思議。さらにウォシュレットが公衆トイレにもある、と(笑)。それなのに何故、幸福度が世界で八十何位なんだろう、と神保氏は疑ふが、誰が肛門洗つたかもわからぬノズルで肛門洗へるほうが奇妙ぢゃないか。逆にいへば、便所で肛門をシャワーが洗ってウンコを落としてくれることくらいで幸福と感じる、この「もののあはれ」よ。ウォシュレットも無印も、糸井のほぼ日手帳も……アタシもみんなさうなのだ。さうか、とふと閃いたが地震津波など自然災害にやられる日本、って悲劇的なやうでゐて、たか/\一、二世代の記憶にすぎず。砂漠とか、本当に狩猟しないと食物がない、とかツンドラとか、そういう絶対的な、どうしようもない自然環境での覚悟に比べると秋津洲では五十年に一度の自然災害じゃ人間も鍛えられず。本当の自然の過酷さはアタシらの地震津波でご破算とか神社の遷宮の感覚とはまるっきり違ふらしい。それぢゃ近代市民革命が起きなかつたのも道理かしら。なーんて一考もよく思ひ出すと山本イザヤ=ベンダサン七平なみの思考か、と我ながら発想の貧困に呆れる。