富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

日本の民主主義を「復活強化」せよ

fookpaktsuen2012-05-03

農暦四月十三日。かなり日程的に厳しい日だつたが夕方五時九に昨日に続き紅磡のラグナヴェルデ団地にゐてタクシーで紅磡碼頭に戻つたらフェリーまで十数分あり波止場の酒場(King Lounge)でステラアルトワ一杯。ヴィクトリアハーバーの見事は景色を肴に麦酒飲みながらフェリー待つ、なんて贅澤なのかしら。北角に着きタクシー自動車雇ひ湾仔へ。演藝学院。ピアノ科のお浚ひ会あり。朴星吉(Kenny Park、似顔絵)君がブラームス弾くと昨日、彼のfbで知りZ嬢とすわ急げ、で十八時半ぎり/\に到着。他の二人の学生。星吉君のブラームスは六つの小品(Op.118)で間奏曲イ短調と同イ長調は良かつたが鳥渡そのアトは整理がついてをらぬか、でもロマンス・ヘ長調は素敵。星吉君のアト、Zhang Yueといふ学生のシューベルトは、この学生にとつてシューベルトはなくてはならぬ音楽なのだ、と思はされた。会場に完ぺきにステージママな星吉君ママの尊顔拝す。会場出ると驟雨。北京餃子皇に飰す。
憲法記念日憲法は満65歳。憲法改正の必要あり51%で必要なしは29%(朝日)。憲法改正の必要性は「新しい権利や制度を盛り込むべき」が69%で意見は真っ当さうだが「戦争なんてご免」と思ふ国民が大部分でも戦争になるのと同じで憲法に新しい権利や制度盛り込もうなんて「人の良さ」が結果的に悪い結果招く端緒となるのに。

65歳の日本国憲法は、経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それを敢えて変更する政争の道を選ばなかったのは日本人の賢明さではないか。

とデービッド=ロー教授(ワシントン大学、朝日)。米国「押しつけ」憲法捨て自主憲法という風潮に「奇妙なこと」と。昨日の朝日(オピニオン欄)に樋口陽一先生が登場。「戦時世代が語る憲法といま」と題して護憲の立場から理念を若い世代に語る。

公正な社会をつくろうというのは、第2次世界大戦後、日本も含め、戦勝国にも敗戦国にも共通した流れでした。日本国憲法はその一つとして生まれました。この憲法のもとで私たちは、外国から「日本ほど平等な社会はない」とまで評価された社会をつくってきました。それがどこでどう変わってしまったのか。(略)
ポツダム宣言に、こんな文言があります。「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし」。戦前の日本には民主主義があったことを、ほかならぬポツダム宣言の起草者が認識していたわけです。日本国憲法を「この国に合わない」「押しつけだ」と非難する人たちがいますが、それは違う。(略)むしろ1935〜45年の国粋主義全体主義の時期こそ、幕末からの流れと異なるものだった。ポツダム宣言軍国主義に染まる前の日本の民主主義を「復活強化」せよといい、日本政府はそれに調印したわけです。(略)
民主主義という制度は、選挙という民主的な手続きによって、独裁者を生んでしまうおそれがあります。民主的に生まれた権力であっても、国民が作る憲法によって制限する。それが憲法の役割です。政治家の側が、選挙で多数を得たのだから白紙委任で勝手なことをしていい、などということにはなりません。(橋下の傲慢がいかに破廉恥なことか!=富柏村註)(略)
近代国家における憲法とは、国民が権力の側を縛るものです。権力の側が国民に行動や価値観を指示するものではありません。数年前に与野党の政治家たちが盛んに言っていた、憲法で国民に生き方を教えるとか、憲法にもっと国民の義務を書き込むべきだ、などというのはお門違いです。(略)
「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」(伊藤博文) - 憲法をつくるとはこういうことです。伊藤は、いわば模範解答を残した。憲法によって国家権力を縛るという「立憲主義」の考え方を理解していたことがわかります。(略)
「決められない政治」にいらだつあまり、大きな物差しでこの社会の将来を考えることを、忘れないでください。

……と樋口先生の説教が続く。本当に素晴らしい言葉。これを陛下がお読みになつたら、まさに自分のお考へそのまゝだらう。先生の近影の背には「温故知新」といふ書が掛けてあり確かに今回のインタビューで語られる明治からの立憲の伝統に意図的。「贈樋口君」とある。樋口先生を君づけするくらゐだから、これを書かれたのは字体からし井上ひさしではないが司馬遼太郎か、いや樋口先生の師の清宮四郎教授(美濃部達吉門下)かしら。ところで樋口先生が素敵な和装で「私は文化的国粋主義者ですから」と(笑)。確か謡曲だつたかもご趣味。素敵。
▼性罪犯年輕化「 14歲以下男童無性交能力」脫離現實擬修例對付少年性罪犯、と蘋果日報。保安局長李少光が性犯罪での少年検挙増で法の見直し宣ふ。阿呆か。少年の性犯罪が増えているのではなく性行為の犯罪視が増えているだけのこと。