富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

やつぱりアタシには吉本隆明はわからない

fookpaktsuen2012-03-19

農暦二月廿七日。快晴も昨日一日きり、でまた濃霧。バスでハッピーヴァレイの成和道通つたら、まぁ貸店舗が並ぶこと。家賃急騰で店子出てしまひアトに入る店もなし。銅鑼湾では某高級スポーツカーも月に数台売れるかどうか、では採算に合わぬのか一等地から撤退。早晩にジムで30分だけ走り久々に「安半」。中環F氏と会食。「飲食男女」誌で星1つついてしまひ地場の客で繁盛は微妙なところの由。さういへばOpen Riceからもこの食肆の情報は削除されてゐたが店側からの要望なのでせうね。酒肴が次々と供され、酒はいくらでも飲むがさすがに牛肉のサイコロステーキはパス。二人で八合くらゐ飲んだのかしら。F氏にバーSに誘はれたがアタシはヰルキンソンソーダのみ。大人になつた。それでもこのまゝだと酒の分解が進みさうにないので帰りに潮州系で具なしで河粉のみ飰す。これで明日は二日酔いもないだらう。日本なら差し詰め〆のラーメンだらうが香港だと胃に優しい低カロリーの粉河などあるのが嬉しいところ。たゞ「最低消費28元」と店に表示あり具なしの河粉はHK$14なので倍とられるのかしら、と気になつたが数名で来て何も食べず席を占領する連中への警告らしくHK$14出すと何もいはれなかつた。
▼昨日の朝日の読書欄で中沢新一による「吉本隆明」の経済学読んだがアタシは頭が悪いのか「農業の問題」の部分が理解できず。内容は

農業では貨幣が介在しないところで、自然の循環をもとにした生産が行われている。そのために農業地帯はおしなべて貧困で、農業人口もどんどん減少している。しかし人間は農業が生み出す食料がなければ生きていけない。この矛盾をどうするか。交換経済だけでなく、贈与経済だけがその矛盾を乗り越える可能性を持つ、と吉本さんは考えた。農業者から食料を得るために、都市生活者は等価交換によらないで積極的に自分の富をあげてしまう、贈与のやり方を採用する必要がある。

……と。それでさうなると経済社会は根底から変化するさうで未来の経済学はこのような新しい贈与論を組み込んだものにならなかければならない……といつた主張が吉本隆明に「マルクス−読みかえの方法」などにあるのだといふ。だうやつて「等価交換によらないで積極的に自分の富をあげてしまう」のか、のイメージがアタシには湧かない。戦時中から戦後にかけての買い出しで少ない米の需要が高まりカネでは米が買えず着物や高級舶来品を持参して農家で米に変へてもらつた……なんて話をふと思ひ出したが、あれだつて腕時計と米の値段が等価になつての交換。本当に意味がよくわからぬ経済論。それに対して「週刊読書人」(三月九日号)の柄谷行人インタビューが面白い。人類は狩猟採集の時代は蓄積が出来ぬので狩りで得たものはすべて平等に分け与へてしまふ。しかし定住が始まると蓄積と不平等が不可避的に始まり、この時点で「雑用を義務づける互酬性の掟」も始まつた、と柄谷先生はいふ。それは人間の意志に反して呪力といふ形で脅迫的に到来したもので、それにより社会に平等性の回復がなされた、と。つぎに国家社会になつても今度は普遍宗教といふ形で贈与や神の命令として自由や平等(柄谷はそれを「流動性」と呼ぶ)が謳はれる。つまり人間社会がだんだん「進化」するにつれてかつては部落のなかで維持されてゐた贈与だが富の蓄積とともに不平等になるなかで部落の掟(規則)や宗教の力を借りて、その原始共産制的な贈与が維持されてゐたのだ、と。これはわかりやすい。この見方を前述の吉本に応用すれば、まさか都会人が自発的に積極的に自分の富を田舎の農家にあげるはずもなく、政府が農生産品をば価格統制でもして農家の収益を上げ農業振興でもせぬかぎり日本のような敷地面積の小さな農業では農家の貧困など解決しないだらう。