富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

搜書院

fookpaktsuen2012-02-19

農暦一月廿八日 晴。朝から出先仕事。午後途中で抜け中環。市大会堂。香港芸術節で「粵劇 - 且在香江賞百花」と題し粤劇のいくつかの劇団の名題役者勢揃ひ。こゝ数日アタシの日剰まるで「京劇ブログ」のやう。たゞこの京劇といふ言葉が日本ではまるで中国の歌劇一般指すやうに用られるが正しくは北京の歌劇が京劇で昆劇、粤劇、川劇と各地に伝統歌劇あり所謂「チャイニーズオペラ」は総称で「戯曲」と呼ばれるが日本語で戯曲といふと意味も異なり困つたもの。中国歌劇か。でこの「香江賞百花」も戯曲史紐解けば前世紀五十年代に中共の「百花齊放 推陳出新」政策で(徒花であつたが)大陸で戲曲改革機運盛り上がり戦時から内戦で散らばつた演劇人が再び集まり伝統的な演目や台本を捜集整理し新劇も生まれ……といふ時代に広州の粤劇界では「搜書院」や「關漢卿」といつた名劇が好評を得たといふ。その後、文革で中国の歌劇がだういふ打撃を受けたか、は馬連良(1901〜1966)の惨死など涙なしには語れず。「搜書院」*1は海南は瓊台書院の掌教(学長)謝寶の伝説で香港では五十年代に馬師曾(1900〜1964)の名演が映像に残る。今回はこれを尤聲普が演じ実に知的で且つ老練なる交渉術で海南鎮臺と渡り合ふ。ベテランの任冰兒もお元気。全院満座の大反響で新光戯院も存続決まり芝居跳ねたアトは舞台も客席も大賑はひ。そんななか座席を立つと後ろからポン/\と肩叩かれ振り返ると金融A氏。粤劇でなど日本人に会ふと思つてゐないから驚く。この芝居で瓊台書院掌教の謝寶の台詞が良い。「文道有文道的權,應該主持公道!」と。これが香港大学への叱咤に聞こえてならず。

*1:海南鎮臺之女飄失風箏,為瓊台書院學生張逸民拾得。 張題詞風箏之上,交前來尋找風箏的侍婢翠蓮。 鎮臺夫婦發現題詞,疑翠蓮行為不軌,拷打後鎖入柴房。 翠蓮月夜潛逃,路遇瓊台書院掌教謝寶,隨歸書院。 鎮臺帶兵圍搜書院, 謝寶智挫其氣焔,救翠蓮脫險。