富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

賣妻求榮 唐英年死不退選

fookpaktsuen2012-02-16

農暦一月廿五日。香港行政長官選挙に立候補予定の唐“紅酒”英年の九龍塘別邸(7 York Rd)での地下違法建築疑惑。本人は地下建造を承知せぬ、5A York Rdが持ち家で隣宅のこと……と逃げ口上に徹したがマスコミの執拗な取材で次々と事実暴露され行政長官レースにも影響大きく昨晩より雲隠れのところ政府当局の実検入り愚息が対応。マスコミ各社、テレビ局のクレーン車が何台も並び邸内での当局の調査を中継。5Aと7は街路から見ると高い壁の仕様も別々で隣宅に見えるが敷地は一緒で建物こそ別だが唐家の子犬が庭で遊ぶと両宅をば往来(笑)。調査官に地下宮の存在証実され「もはやこれまで」と観念して晩に夫妻で記者会見。この地下造営は妻によるもの、当時、夫婦の不仲もあり妻のこの造営に問題点あるかとも思つたが深く口を挟まず、と釈明。妻は咽びつゝ不仲などあり夫を家庭へ顧みさせようと願つての地下の娯楽施設だつた、と。富豪の痴話と、だから地下宮といふこの感覚に呆れるばかり。唐は妻の誤謬と釈明で余計に不人気(笑)。晩にお好み焼き。岩波『世界』別冊「破局の後を生きる」読む。
▼今更、だが練乙錚の行政長官選挙の評論(二月朔日、信報)が秀逸。練乙錚は測量梁をば「自動車を運転したことはないが運転に関してはいろいろなことを熟知している自動車教習所の教官」と喩へがいゝが、結局のところ唐と梁の競選は北京の二大派閥の争ひであり香港の地産市場でいへば董建華の公共住宅提供に近い唐と地産財閥に与して民間開発に熱心な測量士の争ひであり市民の好感度では(今月初の話だが)「這種真民望,唐勉強可說有一丁半點,梁則半點沒有」だが背後にある複雑な力学を見れば測量梁に分が有り、と。
朝日新聞で「南相馬日記」といふ南相馬支局長(佐々木達也)の小さな連載あり。これが秀逸。今日の紙面に「ないたままの特急列車」。震災のときに原ノ町駅にちょうど入線しようとしてゐたスーパーひたち50号。地震で停まつたが原ノ町は(南相馬、なんて名前がアタシにはピンとこないのだが)南は原発事故で、北は津波被害で寸断され、原ノ町〜相馬間も一ヶ月ほど前に復旧したが各駅停車が主でこの特急車両はポツンと取り残されまゝ。以下、多少「鉄ちゃん」的な話になるが常磐線には来月、新型特急(E657系)導入。20年以上前のことだが現在のスーパーひたち(651系)の登場は画期的だつたが今回のE657系はアタシは個人的に全くピンとこない。殊に在来線、新幹線も含め珍しい1−2配列のグリーン車が素敵で、今回のE657系グリーン車と普通車の見分けがつかぬほど単調な内装はいつたいどうした発想なのかしら。
▼岩波『世界』別冊「破局の後を生きる」で巻頭に樋口陽一先生の「いま、大切だと思うこと」。これを読みたくこの別冊注文したやうなもの。樋口先生はStephane Hesselの“Indignez-vous!”取り上げてゐる。第二次世界大戦でのレジスタンスは「外国の影響からの独立」を「自由の名誉」にしたのだ、と。それが堪え難い試練を闘いぬいたレジスタンスが獲得したもの。それがフランスでさへ危うふくされてゐるから93歳の元レジスタンス闘士が若者に向かつて“Indignez-vous!”と提唱する。「ひるがえっていま日本では? エネルギー政策の選択、TPP、そして沖縄。……これらの問題をつらぬく確信が、そこにある」と樋口先生は指摘して「戦後日本の出発点に日本国憲法を手にした私たちにとっての問題も、それと違うものであるはずがない」と結ばれる。御意。理念的には、さう。但し一つの、そして最も大きな違ひは日本のその「自由の名誉」がレジスタンスの結果、堪え難い試練を闘いぬき獲得したものでなく、「堪え難きを耐え」は戦時下の苦労と皇国の敗北、まるで天からの授かり物のやうに「自由」が施され……だからフランスなど比べものにならぬほど自由と個人主義の土壌が脆弱なのだらう、今更言つても致し方ないが。

世界増刊 破局の後を生きる 2012年 01月号 [雑誌]

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