富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

登山家芳野満彦氏逝去

fookpaktsuen2012-02-07

農暦正月十七日。登山家の芳野満彦氏(服部さん)死去(享年八十、朝日新田次郎の小説『栄光の岩壁』のモデル。日本人として初めてマッターホルン北壁の登頂に成功。地元の畏友J君曰く「強烈な個性で水戸の街で異彩を放った有名人」と。本当に。山を描いた絵も素敵で文筆も見事。水戸の老舗の運動具店の婿に入り(このあたりも新田次郎の小説にエピソードあり)高校生のころから山で見た天国と地獄、水戸では何十年も余生を送られるやうな生活。十七歳のときに八ヶ岳で遭難し凍傷で両足の指全て失はれ、それでも北壁だから凄いが、登山靴が脱げない生活をされてゐて先考が「服部さんが来ると、まったく、畳の上に登山靴で上がっちゃうんだから」と苦笑して酒を酌み交はしてゐた。男の遊び場的な独居のマンションも当然、土足のまゝで煙草など卓の上で揉み消して、ほんとマンションのなかもアウトドアだつた由。この運動具店のお嬢さんと小学、中学と同級でご近所の運動具店であるから子どもも何か買ひに寄るが店をば切り盛りするのは気丈夫なお婆さんと奥様で芳野氏を店で見かけたことは終ぞ無かつた。この方が登山家だつたのは知つてゐたが、まさかそんな世界的登山家とは全く知らずアタシが15歳くらゐだつたかしら偶然に新田次郎の『栄光の岩壁』を読んでゐて、登山道具会社の写真として営業で来た水戸でスポーツ用品店の美人のお嬢さんを見初め……って「これ、モリ商会だよ」と驚いた次第。山の絵も随筆も素敵で『山靴の音』は名著。中学、高校で芳野氏が三十年近い先輩だつたといふ葛飾シャモニーO氏がメールで「両足とも凍傷で切断し、12cmぐらいしかない芳野さんがいたので生まれつき左足にハンディを負っている私も、若いころは世界を目指して頑張ろうという気になったものです」と。この芳野氏の訃報は朝日でスポーツ欄にありスポーツ欄読まぬアタシはJ君のfacebookで知つたが、それにしても朝日の訃報、芳野氏が71年のヒマラヤ、ダウラギリ4峰登山の際に「至近距離から毛むくじゃらの雪男と思われる謎の動物に遭遇した」とあるが、さすがにネットでは記事から削除された模様(笑)。『山靴の音』にある有名なエピソード。だが新聞が「毛むくじゃらの雪男と思われる謎の動物に遭遇した」と書いてしまふといくらスポーツ欄とはいへ東京スポーツぢゃないんだから。今日はGastro-enteritisひどく、どうしても済ませねばならぬ打合せのみ出て晝に供された弁当は塩のおにぎりとスープ少しだけいたゞき養和病院。処方薬供され帰宅して昏刻まで寝台に臥せる。素麺茹でて食す。
▼写真家の石元泰博氏逝去。享年九十。昨年の四月、麻布鳥居坂石元泰博の「戦後日本モダニズム芸術:『桂』を中心に」といふ講演会あり田中長徳先生が六本木に仕事場構へられてゐるのに国際文化会館に来られたのはそれが初めてだつた、と夏に其処でお会ひしたときに仰つてをられたのが印象に残る。石元氏の奥様が上述の芳野氏が婿に入られた運動具店の、数軒先の老舗書店のお嬢様だつたと母に聞く。
▼香港マラソンに参加のK氏からいたゞいた週刊金曜日佐高信が書いてゐるがナベツネの結婚の仲人が東大の新人会で一緒だつた宇都宮徳馬先生でロッキード事件のころにナベツネと児玉誉志夫の関係がマスコミで取り上げられたときに仲介役に入つたのも徳馬さん。でナベツネは大学卒業で中央公論社受験したが落ちたので私怨もあり後の読売新聞社による中央公論社買収も躍起だつた、と(笑)。
▼寒い/\と「記録的厳冬」とマスコミが囃すが「増え続ける凶悪犯罪」と一緒。朝日新聞の地方版(朝日新聞デジタルで日本各地の地方版が読めるやうになつた)で今冬、零下7.1度記録した水戸も「昔はもっと寒かった」といふ記事あり。水戸で観測史上最も寒かつたのは1952年2月5日の零下12.7度。最低気温十位には零下10度以下が並ぶが1985年1月31日の零下10.6度を最後に零下10度下回る日は無し。地球温暖化でこれでもやはり暖かくなつた。それにしても1970年1月17日の氷点下11度なんて当時、長ズボン履く子なんてをらず走り回つてゐた記憶あり。