富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

まだ目覚めていない、頭の悪い連中……。

fookpaktsuen2012-02-06

農暦正月十五日。春節十五夜は愛でるも能はぬ雨模様。帰りがけにジム。トレッドミルで三十分ほど走る。走つてゐる間に悪寒ありサウナに入つても肌寒く「こりゃいかんな」でGastro-enteritisにかかつたやう。帰宅して梅の炊込みご飯と汁物。早々に寝台に臥せる。湯湯婆いれマフラーして寒さ凌ぐ。情けない体調。ロジェ=マルタン=デュ=ガール(以下、RMDG)の『アンドレ・ジイド 一九一三年より一九五一年に至る覚え書』読む。『チボー家の人々』の著者であるRMDGが交友のあつたアンドレ=ジイドについてジイドの死後にRMDGが自らの日記からジイドについての記述をば抜粋したものでジイドについて、そして「知的な女性を愛するのは男色家の快楽である」なんてボードレールの言葉などが処々に挿まれてゐる。しかも和譯は福永武彦だから好事家にはたまらない。この本、昭和28年に文藝春秋新社*1から出版の初版本。武彦の検印あり。一九一三年に二人は出会ふが三十二歳のRMDGがまだほとんど認められる新人作家なのに対して十二歳年長のジイドはすでに『背徳者』や『狭き門』、ドストエフスキー論など発表し当代一の人気作家。その個性的で気難しいジイドがRMDGには心を開きジイドが亡くなるまでのながき交友関係が続くことになる。ジイドが『コリドン』上梓することへのRMDGの不安、ジイドの天性の放漫さから距離を置かざるを得ぬRMDG、その関係。それはやはり『チボー家』でいへばジャックとアントワーヌであり、一九一三年にパリの新フランス評論社での出会ひからRMDGらしい観察が武彦の和訳でじつに素敵。RMDGがジイドから聞いたラテナウ(Walther Rathenau 1867-1922、独逸の政治家、工業家)の話が興味深い。1922年、まさにラテナウが亡くなる年だが

ジイドさん、世の中の移り變りは早いから、ごく不吉な豫想が、考えているよりもよつぽど早く、當つてしまうかもしれませんよ。今日、どんな詰まらない事件が、ポーランドだろうと、ユーゴスラヴィアだろうと、とにかく何處で起ろうとも、我々はそれに首の根つこを抑えつけられてしまうのでしようからね……。
ヨーロッパは墓場へ驅足です。決してとめられないわけじやありません。しかしたとえそれが出來たところでですね、ジイドさん、ひよつとしてとめない方がいいのかも分かりませんね。何しろ傷口が化膿しているんだから、もう一度、切開しなければならないでしようよ。
これから先、世界を動かす最大の力は、あの無數のアメリカ人たちですよ、まだ目覺めていない、頭の惡い連中……。きつと連中が、眼をつぶつたまま、彼等のきめた通りを舊世界に押しつけてくるのでしような……。

と老ラテナウの言葉。1922年に「頭の悪いアメリカ人の傲慢」をこゝまで言当てゝゐるとは。この名著、岐阜恵那の古書肆ことば屋から網上で購つたものだが状態良く読者カードまでついてゐたので(さすがに西銀座の文藝春秋新社には送れず)紀尾井町に送る。

これが武吉、伴睦が妾のことでも追求されたときの言い訳なら「さすが」と笑えるのだが……。

*1:一九四六年三月「戦争協力」を理由に文藝春秋社は解散させられたが社員有志により同年六月、株式会社文藝春秋新社が設立された。一九六六年現在の株式会社文藝春秋に改められる。