富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

柳北、荷風に鏡花 雑司ヶ谷にて

fookpaktsuen2012-01-21

農暦十二月廿八日。大寒氷雨。昨晩は珍しく午前一時すぎまで小澤征爾の前晩の水戸室内楽を聴いて寝たが今朝も五時半くらゐには目覚め。納豆と焼き魚、いわしのつみれのお吸い物で朝ご飯。母と家を出る。電車で「車内がとても混雑、隣りの座席に荷物を置かず一人でも多くのお客様が坐れますようご協力をお願いします」って素直に「荷物は網棚に。座席に荷物を置かないでください」といへばいゝのに。王子で火災あり京浜東北線や東北、高崎線が運転見合わせ。聞けば王子の飛鳥山公園下のさくら新道で火災の由。アタシの好きな「戦後」で一昨日も昨日も長野の往復で、嗚呼、まだ此処は戦後、と眺めてゐたのに。再開発狙ふ不審火ぢゃないでせうね。新宿に着くとかなりの雨。常圓寺掃墓。此処は母の実家の墓だが母と一緒に墓参は何十年ぶりかしら。母とは銀座界隈にはよく行くが一緒に新宿といふことがずつとなかつた。副都心線雑司ヶ谷。本教寺といふ寺に97歳で大往生の「赤坂の伯父さん」の納骨と法要あり。この伯父は甲州屋といふ料理師協会(こちら)の重鎮であつた人。これに出る母をこの寺まで送り母から従兄弟にあたる親戚筋にご挨拶のみして寺を辞す。雑司ヶ谷霊園。雨がかなりで墓地は足下がかなり泥濘み困つたが、こんな寒空の雨模様に掃墓などアタシ一人でそれも亦た好し。管理事務所で案内図もらひ先づ成島柳北先生。手入れされてをらず落ち葉が積もるほどだが、またそれが絵になるのがさすが柳北。柳橋新誌、また再読しませう。荷風散人。なんとも散人らしく、この墓だけが周囲が垣根でまるで独居の風情あり。羽仁五郎大川橋蔵泉鏡花。左団次。羽左衛門。村山槐多。菊五郎。それぞれ墓に個性といふものあり。槐多さんの墓が雨に曜りきれいなこと。子どものころから墓地の、都会の墓地のおそらく空が抜けた感じが好きだつたのだらうが墓地の独歩はほんとうに飽きず。車で目白に出て新宿。東口地下のBergに麦酒一飲。大江戸線麻布十番。Z嬢と天冨良よこ田に飰す。確かに美味、名店として名を馳せるのも納得。たゞ噂には聞いてゐたがいち/\あゝだ、かうだとご亭主が滑舌で天婦羅のネタの紹介くらゐならまだいゝが「麦酒はお好きな方でも飲みすぎると最後のご飯まで届かない」だの「お酒は日本酒といふくらゐで二本が適量」だとレモン汁を搾り塩はもつと盛るとレモンの酸っぱさが消える、だの、さらには大根おろしを盛つて天つゆをかけて……と思わず「知っとるわいっ!」と言ひたくなつたが初見の客なので今日は静かに。場所柄ちょっとリッチな若者客多く天ぷらの食べ方も作法も知らぬヤング層の客がをり、さういふ連中にはあれこれ指南もありだがアタシらのやうな年配の、それもそれなりに天ぷらも好きで食べてゐる者には鳥渡、なところもありZ嬢はちゃんと対応してゐたがアタシは不遜に映つたかしら。これはこの店のご亭主の流儀といるもので好きなら通へば良し、嫌ふなら来なければ良し、で構はない。勿論、二度目、三度と通へば同じやうな指南をされるはずもなくツーカーの心地良き天麩羅屋になるのでせう。奥麻布のバーHに往つたが開店が今晩は三十分遅いと掲示あり周囲は狸が出て来さうな暗町で寒雨のなか時間も潰せず退却。麻布鳥居坂の旅寓に旅荷はすでに届けてあつたが下榻。いろいろ書類整理。