富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

飯綱の「ふじおか」と小澤征爾休演

fookpaktsuen2012-01-20

農暦十二月廿七日。長野は雪模様。小太郎さんといなご氏の車にハロンS氏と私ら便乗で県町教会、後町小学校を抜け善光寺。本堂の横まで車で着けてもらひ略式に参拝。雪が強く舞ふなか飯綱高原の蕎麦ふじおか。噂には聞いてゐたが野菜の前菜から始まり何故か他より美味い恵比寿麦酒、お酒は鄙願の吟醸、蕎麦雑炊、お好みで注文の蕎麦がき、で「せいろ」二枚。羹のやうな蕎麦湯。〆に蕎麦善哉をいたゞく。長野駅まで送つてもらふ。雪は歇み陽光も少し。午後二時半の新幹線で東京へ。軽井沢あたりはすごい雪。東京駅まで行くZ嬢と別れ上野で新幹線下車。常磐線の特急に乗り換え水戸。三時間もあれば長野から水戸に行ける時代。水戸の閑散とした商店街をバスで抜け芸術館。ロビーで母と待ち合せ。水戸室内管弦楽団の定演。小澤征爾が二年ぶりに指揮とあつて話題になり母もよくチケットがとれたところ。昨日は楽章が終はる毎に舞台で椅子に坐つて短い休息をとりつゝも予定通りハイドンのチェロ1とモーツァルトの35番「ハフナー」を指揮。で本日。開演前に吉田秀和先生の尊顔を拝す。入場。開幕。舞台に芸術館の関係者(音楽部門芸術監督の由)が深刻な表情で出てきて厭な予感。今日はきつと大丈夫だらう、と安心しきつてゐたが昨日の演奏会のあと「小澤氏はかつて経験したことの無いほどの大変な疲労を感じ、本日の演奏会に向けて体力の回復に専念しましたが、今日になっても演奏会で指揮をすることができる体力を取り戻すことができませんでした」と説明あり。客の一人が「ふざけるな!」と怒鳴つて抗議。「東京からわざわざ来ているのだ、ここまで今更「出来ない」で納得するか、あんたぢゃダメだ、責任者出て来いっ!」と。最初は黙つてゐた他の客の中からも「聞きたくないなら帰れ」などと声が出るほどに場内騒然。舞台に企つ者は収集する器量なく、だうなるのかしら、と思つたら「ふざけるな」ジヾイ退場するなか中央の席に坐つてゐた吉田秀和先生やをら立ちあがり「芸術館の館長の吉田秀和です」と語り始める。今回の小澤征爾の指揮がどれだけ待たれたものか、昨日の演奏がどれだけ素晴らしかつたか、と語り始められ病身の小澤征爾に対して「私は今、98歳です。なぜこゝまで生きられるのか……」と。この御大の予定になかつた弁明の辞で落ち着くか、と思つたが吉田先生が「今朝、小澤さんと朝食をするなかで小澤さんから「大変申し訳ないが今日は演奏ができない」と言はれ……」とこの一言でざわ/\となつたのは事実。朝に小澤征爾の病欠決まつたなら告知すべきだらう、と。さうすれば「ふざけるな」オヤジも含め遠来の客も「聴くか、聴かぬか」の判断出来たわけで何知らぬ顔で客を入場させてから「実は……」では客に嘘をついてゐたことになる。アタシは事前に「小澤病欠」知つてゐたらどうかしら?……と考へると小澤征爾の指揮が見られぬのは残念、でも母とかうして水戸室内の演奏が、宮田大のチェロが聴ける、と思へば「出演者変更に伴ふ入場料割引」つきで「良し」としたいが。吉田先生は「これでよし、で聴きたい人は聴いてください。やはり今日は聴きたくない、といふ人はどうぞ、入場料もきちんとお返ししますので、それでお許しください。もう私たちは今こゝにいます。判断は自由です。時間を戻すことはできない……聴きたい人たちで今日の演奏会を」と釈明が続く。客の一人が「先生、説明ありがとうございます。もうよろしいじゃないですか、水戸で水戸室内楽のこの演奏を聴かせてもらいたい人が集つてゐるのだから演奏を聴かせてもらひませう」といふ一言で客から拍手が起き吉田秀和といふ巨人のまさか98歳で主催者側の代表として小澤征爾休演に伴ふ事態収拾に応じざるを得なくなつた一瞬が終はる。それでも十数名の客が演奏を聴かずに退席。この席を立つた方たちにとつては小澤「抜き」では羊頭狗肉かしら、でもこの選択もあり。繰り返すが舞台での担当者の説明と、それと一字一句違はぬプレス発表には出てをらぬが「朝の段階で小澤征爾本人から休演の申し出あり」ならきちんと発表すべきで来ない客は来ないで良し、払ひ戻し、割引価格で小澤不在でも水戸室内の演奏を聴きたいといふ聴衆がゐれば積極的にそれに応じ、とすべきだつたはず。それを隠しに隠して入場後に説明などするから「ふざけるな」ジヾイ本人も抗議聞かされた聴衆も、吉田秀和先生もみんながイヤな思ひをしたはず。結局のところ小澤征爾といふかなり深刻な体調の指揮者の復帰といふリスクを選んでゐながら災害があつた場合にきちんと対応できなかつたこの楽団と水戸芸術館の責任者の判断ミス。震災の核禍と全く同じ構造的問題が露わに。不幸中の幸ひは今晩の曲目がモーツァルトのディヴェルティメントニ長調ハイドンのチェロ協奏曲第1番、モーツァルト交響曲35番 「ハフナー」と、ディヴェルティメントは当然だが他二曲もこれだけ熟練の少人数の楽団だつたら、だうにか指揮者なしでもこなせること。もしかすると小澤休演も想定内の選曲だつたのかしら。だとしたら休演発表は事前に出来たわけで……と、まうこの話は止めよう。だうであれ、まるで「オーケストラがやって来た」のやうな三曲。ディヴェルティメントは無難に。宮田大のハイドンのチェロ1はアタシはこの曲はこの若いチェリストのちょっと解釈過剰が気になつた。この曲はもっと素直に技巧とアンサンブルを愉しむ方がアタシは好き。宮田大のアンコールは無伴奏か超技巧なのかしら、と思つたが瀧廉太郎の荒城の月。これは見事。中入りで入場料金の変更と返金手続き始まる。15,000円が5,000円に1万円引き。松本のサイトウキネンもさうだけどポスト小澤の時代を迎へると水戸室内もこれからの運営は多難。モーツァルトの35番「ハフナー」。さすがにこの曲はもと/\は指揮者抜きでも演奏できる曲形態だが指揮者ゐての曲の抑揚に慣れてゐるアタシたちには面白みに欠けるところあり。指揮者抜きでも無事にこの厳しいコンサートをやり抜き「これでも良かつた」と納得した観衆の拍手で演者たちも笑顔。終演後、この小屋と水戸室内では常連の母が、かうして考へてみると開演前もいつものマネージメント、関係者や重鎮格がロビーに出てゐなかつた、と。みんな小澤休演を決めて穴に隠れてしまつたのかしら。妹が迎へに来てくれ帰宅して母が昨晩録画してゐた昨日の演奏を眺める。NHKの茨城スペシャルだけで流された昨晩の演奏は今日が小澤休演となり明後日のサントリーホールでの同演目も小澤復帰未定となつてゐるなかでは貴重な演奏。ディヴェルティメントは昨晩の演奏は固く小澤休演でも頑張りましょう感のあつた今晩の方がずっと良し。ハイドンのチェロ1は小澤の疲労感があまりにひどく演奏は昨晩と今晩であまり差もない。アンコールは同じ「荒城の月」で、それを舞台で眼を見開き凝視しながら聴く小澤征爾。春荒城の……と、この曲は小澤が可愛がつた演者ではおそらく最後の世代になるであらう宮田大が小澤征爾に捧げたやうに。たヾ、小澤といふ武将の末期に25歳のあなたが……はつらすぎる。「ハフナー」は小澤の体力もテンションも上がり昨晩の演奏が素晴らしい。それに比べると今晩はみんなパート的には頑張つてゐますしアンサンブルとしても成立はしてゐるが「その後の解釈」が指揮者によつて齎されない分、つまらない。数年前の松本でのサイトウキネンに続き小澤征爾の尊顔拝めなかつたのは残念であつたが昨晩の中継録画が家にあつたことで、その演奏と比べ、指揮者の存在の意義など考へることが出来たことで深夜まで楽しい晩となつた。それにしても……しつこいが、やはり小澤征爾といふ日本の現代を代表する指揮者であつても体調が、病状がこゝまで悪化してゐるのだつたら誰もが悲しい思ひをしないためにも療養に専念すべき。舞台に立てばそりゃ普通の指揮者にないオーラ発し見事な演奏になるのかもしれないが。役者だつて、もう歩くのが困難になつても、立てなくなつても舞台に立つたのは大成駒しかり先代の松緑しかり大野一雄先生しかり……たヾ役者が出ることで、その身体表現でアタシらは素晴らしい舞台を見てゐるわけで、小澤征爾もその域なのかしら。しかし誰かがNoといはなければいけない。写真は昨日のリハの模様。