富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2012-01-11

農暦十二月十八日。曇。晩に小雨。晩に日本人倶楽部で中文大学日本研究学科創立二十周年記念の祝賀会あり参加。末席を汚す。アタシは個人的に「地域研究」とか「比較文化」といふのがよくわからない。その社会の特異性のやうなもの研究して何になるのかしら。かりに明治日本の近代国家成立であるとか戦後の高度経済成長であるとかエポックとして研究は面白いかもしれないが「特異である」とはわかつても、それが何かに活かせるか、といふと70年代のマレーシアのルックイースト政策のやうな結局のところ勤勉性とか製造業の工場での生産効率や分業体制など現場レベルでのノウハウ以上に何があるのか。それなら純粋に平安文学とか能や歌舞伎、とか日本の劇画とか、を純粋に「面白いもの」研究する方がずっと実のあるもので、これは文学部で済む。社会学歴史学、さういつた既存の学部でいゝのでは? 中学生のときにルース=ベネディクトの『菊と刀』読んで以来、あれを越える日本人論といふのはアタシは知らないし、加藤周一がいふ「雑種性」の一言があればいゝやうに思へてならない。それ以外は拙論の「近代市民革命を経ぬ似非近代国家」で十分ぢゃないかしら。閑話休題。でこの学科も二十周年。常勤の講師三名と事務員一人、それにアルバイトの助手(アタシもその一人だつた)文学部の「日文組」がY先生の尽力で日本研究学科になる、丁度その過渡期に籍を置いた一人としてアタシも感慨深いものあり。懐かしい皆さんと旧交温める。Z嬢も遅れてパーティに。今でも「日文」なんて呼んでゐるのは彼女くらゐ、と笑ふ。アタシは数年に一度くらゐお会いする方が多いがZ嬢とは本当に二十年ぶり、の方も少なからず。帰宅途中、車で通り過ぎたのできちんと確認できなかつたがEastern Highwayの海側の沿岸に海裕街といふ道路あり、北角警察署と香港中華瓦斯会社の間から高速道路の高架潜り沿岸で工事資材や廃材など船の積み降ろしする荒んだ場所で野犬多く「怪しい取引」に使はれたり密輸ガソリンの不法販売してゐたりアタシも足を踏み入れもせぬところなのだが、そこで暗いなかかなり炎が上がつてゐる。廃材でも焼却してゐるのか不良が何かに火をつけたか、あるいはガソリン密売で引火でもしたか、と思つたら通り過ぎる時に見たのは無蓋貨物トラックの荷台で何かを燃やすところ。それもそのトラック囲むやうに白装束の男女が二十人くらゐかしら熱心に祈祷してゐる。貨物トラックの運転手が亡くなつた供養にしてもトラックの荷台で供物燃やさぬし……。お祈りの仕方からしても日本人のやう。何だつたのかしら。
▼香港政府の新中央庁舎での雑菌繁殖や感染の拡大。此処が旧駐港英軍総部(Tamar)跡地の埋め立てゆゑ蔓延するのが退伍軍人桿菌(レジオネラ肺炎、在郷軍人病)で亡霊のやうに、と噂あり。