富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

良心は自分のなかの他人

fookpaktsuen2012-01-07

農暦十二月十四日。曇。七草。古来、陰暦の風習を太陽暦でやつてしまふ、この形式主義が近代日本の欠点なり。仕事盛り澤山。咳がいぜんとして歇まず。官邸への往き帰りに鈴木邦男『愛国と憂国売国』(集英社新書)読み出したら面白く読了。「天壌と共にという条件あっての國體」と邦男先生は国土を破壊する原発を否定する。で邦男さんの真骨頂は護憲。帰属する国や社会を愛情と責任感と気概を以て自ら支へ守る義務を共有する、といふまさに自民党的な文部科学省的な「愛国心」の強制を嫌ひ

アメリカから押しつけられた憲法を改めることには賛成。しかし個人の自由が制限され愛国心が国家に強制されるような改憲は厭。「自由のない自主憲法」よりは自由のある「押しつけ憲法」を選択したい。

と。戦後六十年、戦争をせずに平和で来られた憲法は立派なもので、これはすでに日本文化の一つとこの認識は立派。一つ面白い話で空手の大山倍達先生が

戦争を放棄した日本人は、空手をやって、一億人が空手の有段者になればその国民にはどの国も手を出せまい。

と仰つたといふ。なんて究極の非武装平和主義。素敵だ。邦男さんは三島由紀夫の目指した国家、憲法を語り直す。いかに自民党民主党の「改憲派」の憲法が怖いものか。結局、倒幕派の明治政府と同じで天皇を担いで自分たちがしたいやうにするだけ。どぜう首相が東日本大震災で多くの国から支援をうけたことで「国際社会に恩返しをしてほしい」とワケわかんなーい訓示たれ南スーダン自衛隊PKO派遣するなか邦男さんの憂ひがよくわかる。具合悪くて寝台に臥してごろ/\なので、きだみのる『気違ひ部落周遊紀行』も読了。タイトルから「ヤヴァい」内容と想像され易いが戦時中から戦後にかけての山梨に近い都下の山間に疎開したきだみのる山田吉彦)の見事な人類学のフィールドワーク。戦時中ものんびりしたもの、戦後「民主主義」の時代になつての初の村議会選挙が面白い。未開社会の「贈与」の慣習で選挙でも票を貰つたら何かしらの返礼が基本で(笑)選挙の成文法と贈与の慣習法の対立、と。これつて今も何も変はつてをらず。これを読むとやはり戦時中から戦後に(半藤一利先生のいふやうな)「断絶」なんて無いことは明確。一人の村人がいふ「良心は自分のなかの他人だな」は名言。14夜の月を愛でる。

愛国と憂国と売国 (集英社新書)

愛国と憂国と売国 (集英社新書)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)