富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

多数決で決めたことは大抵間違い

fookpaktsuen2012-01-05

農暦十二月十二日。極寒。摂氏九度。夕方より冷雨。晩に自宅でチゲ鍋。日経夕刊で畏友村上湛君の連載「歌舞伎に転生する能・狂言」第1回「<道成寺>の変容」読む。昭和63年11月歌舞伎座の大成駒の道成寺。今でも記憶に鮮明な舞台で村上君とも莫逆之交、当時よく遊んだこと思い出す。
▼右上写真(記事)は香港でDOLCE& GABBANA商店が店舗前の街頭で市民の写真撮影を禁ずる措置。なぜか大陸漢の客には写真撮影許容。人気商店のあまりの勝手。
▼久々に週刊読書人読む(十二月廿三日号)。宮台、痩せた苅部、渡辺靖の巻頭鼎談。憲法施行直後に文部省が配った「新しい憲法のはなし」(アタシももつてゐる)にある「多数決で決めたことは絶対に間違わない」とあるがチャーチルの「民主主義は最悪の制度」の言を待つまでもなく「多数決で決めたことは大抵間違い」と宮台。実はその通りなのだが、かう言つてしまふと橋下的に悪用されてしまふわけで「多数決で決めたことは大抵間違い」だが「独裁はいけなく、それでも民主主義を遂行しなければならない」としないといけないと思ふ。勿論、宮台先生だからちゃんと民主主義の本義は「参加&自治」と「理性的討議&少数尊重」で「その本義が日本国憲法前文に書いてあるのに憲法を国民に噛み砕く際に骨抜きにした」と指摘はされてゐるが。それに憲法を国が「国民に噛み砕く」といふ作業こそ、この国でいかに憲法なるものがもと/\国民のものでないか、の証左なのだけど。で苅部先生が「日本の場合は、実力行使をあからさまにやると急激に人気が下がるんですよね。だから橋下知事教育委員会に対して強硬策をとるのは結局、貫けないと思います。その意味では独裁者の暴走を防ぐ暗黙の了解が日本社会にはある」とされる。さうなら頼もしい社会だが実際には石原の教育改革だつてかなり強硬だがきちんと成果をあげているから。日本に「独裁者の暴走を防ぐ暗黙の了解がある」とはアタシにはとてもさう思へず実際には今まで本当の意味でそんな独裁者が現れなかつた、現れる環境がなかつただけ、と思へるのだ。も一つ苅部先生の指摘で興味深いのは「橋下、石原のポピュリズムというのは新しい話ではなくて革新自治体だってポピュリズムだったと思うんですよ。ワンフレーズで人々を引きつけて組織化されていない都市住民が大して政策の内容を理解していないのに大挙して支持する。そういう土壌はずっとあった」と。確かに。それは批難せず石原、橋下を嫌がるのは片手落ち。小谷野敦も(同誌「論調」欄)で「大阪市長選と府知事選で橋下徹とその一派が勝利した。やはり民主主義というものの限界を感じるところだが、かつて田中康夫がはやり独裁知事として君臨して、のち没落していったような健全な経緯を期待したい」と。
柴田元幸責任編集の文芸誌『モンキービジネス』休刊の由。創刊くらゐからだつたかしらサリンジャーの特集が数冊あり柴田元幸の貴重な邦訳未刊行のサリンジャー小説だつたので読めてありがたかつた。個人的に大好きな柴田元幸の翻訳。