富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

橋下が最初、大阪の公務員を攻撃したとき

fookpaktsuen2012-01-04

農暦十二月十一日。曇。寒さぶり返し摂氏11度まで下がる。或る件で日本のいはゆるメガバンク三行(赤、青、緑)のそれぞれの芸風の違ひ明らか、と納得。いくつもの銀行が統廃合の結果の三行だがきちんと。日本のいはゆる官公庁仕事初めで多忙。アタシは昨年暮れから仕事モードのまゝで一つも正月気分でもなし。今年は更に日系のところでも正月飾りや新年挨拶がめつきり減つた気が。晩に帰宅して先日のポトフをもとにしたクリームシチュー飰す。新西蘭のホワイトクリフのSauv Bl 08年飲む。一昨日あたりから唔哺唔哺と咳が出てゐたが今日は喉痛と頭痛もひどい。咳止めシロップでまつたり。
▼ハシシタ(ファシモト©小樽M氏)が大阪市議会で「念頭」挨拶。「新しい統治機構は使命」と朝日(こちら)はアホちゃうか、報道に批判精神どころか客観性ゼロ。組合嫌ひの産経はハシシタに対しての労組幹部の謝罪報じる(こちら)。こゝまで頭下げる労組幹部も情けないかぎり(このまゝ思いっきり頭を挙げハシシタのアゴに撃中で口の中、血だらけにしたら「パッチギ」的に見事だが)。そしてこのハシシタの満足そうな表情。こんな頭の悪さうなガキ大将に投票した大阪の民草は恥ずかしくないのかしら。また産経のこの撮影のアングルが意図的なのかだうか知らぬが、この高さからだと余計に深々と低頭に見えるから……かんぺきに何もかもハシシタから朝日までアホちゃうか。小樽M氏が紹介してゐる「彼らが最初、共産主義を攻撃したとき」(こちら)を捩れば

橋下が最初、司法界を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は弁護士ではなかったから。
橋下が大阪市長を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は大阪市長ではなかったから。
橋下が市役所の労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は公務員労組ではなかったから。
橋下が大阪をごちゃごちゃにしたとき、私は声をあげなかった、私は大阪人ではなかったから。
そして橋下が私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。