富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

賽絀克巴莱 太陽旗

fookpaktsuen2011-11-19

十一月十九日(土)夜半にかなりの降雨あり。天気も回復する気配あり久しぶりに小一時間ジョギング。ジムに寄つたあと家電屋でiPod Nanoの現行モデル購ふ。一世代前のNanoは美しいのだがNike+iPodでセンサー嵌めるのが不便。昼にモスバーガー飰す。午後、台湾の文芸誌「聯合文學」九月号、特集「帝國的哀寫──《賽絀克.巴莱》與殖民地文學」読む。十月に台中の誠品書店で購ったもの。映画「賽絀克.巴莱」の監督・魏絀聖の対談(陳芳明とのもの)の他、横路啟子「被消費的「霧社事件」──以1930年代日本及台灣的媒體報導為例」は精緻な研究成果。白眉は巴代(1962年生まれの作家、卑南族大巴六九部落出身)の「英雄!?誰的英雄?」といふ記述(一部切り抜き:左)。これを読んで霧社事件のお復習ひしてから映画「賽絀克.巴莱 太陽旗」をZ嬢と見に映画館へ。アタシの世代だとまだ祖父母からまるで見て来たやうに霧社事件の話は聞かされ2004年8月に実際に霧社を訪れたこともあり(こちら)。映画の題名の「賽絀克.巴莱」セデック・バレ霧社事件起こした「セデック族の勇士」といふ意味。魏絀聖はタイトルで「霧社事件」とせず「「賽絀克.巴莱」としたことで単なる歴史片以上に(アタシ的に意訳すれば)ドストエフスキー的なところへの意図。先祖から授かつた土地を奪はれる原住民、近代化のやうで実に矮小な日本人。それにしても霧社の小学校の運動会といふ場が何とも。「女、子どもがゐる場所が狙はれ無差別に殺された」などといふ意味でなく運動会のもつ、厳密には「日本の」運動会のもつ政治性、近代国家の運動会がいかに政治的空間であるか。今日の映画の土壇場で魏絀聖は日本の運動会の儀式性をば見事に描いて見せてゐる。日本と異なる場所からは、この軍や警察の偉いさんが主賓で児童の親ばかりか地元の大人たちが晴れやかに鳩まり児童=国民の身体の健やかな成長をば眺め祝福するこの空間。嗚呼……。霧社で日本人がちが殺戮される場面は誤解を恐れず敢へていへば「スカッとした」のが正直なところ。正義がセデック族で侵略者の日本は悪。勧善懲悪、赤穂贔屓と同じで「殺されて当然」と思はないはずもない。この映画は今日の前編が160分。セデック族マヘボ社の頭目たるモーナ=ルダオを通して霧社を開発しとうとする日本人も含め「どこまで追い込まれていくか」を上手く描ききつてゐる。映画のあと太古城の東達中心にあるAge Cuisine Expressで夕餉。鰂魚涌から太古城はかつて香港島の工業地帯だつたわけで鰂魚涌が開発され太古坊となつたあともこの船塢里の一区画だけはまだ工業大厦があり、この食肆はその大厦の中でこじんまりと営業。あまり話題にもならず、だが初めて行つたが味もなか/\、値段も手頃でサービスが余計なこともせぬし葡萄酒を飲みながら、で何より料理が焦るやうに出てこず、がいゝ。蟹肉のケーキ、ソーセージと独逸風の猪手(なぜ豚の同じ部分の料理で中国は「手」で日本は豚足、西洋料理だと「踝」なのかしら)注文し後二者は食べきれずお持ち帰り。隣の卓のピッザと咖喱も美味そう。

「牙牙擦擦」的簡炳墀被稱為「食力簡」,原因是他經常將「最緊要有實力」掛在口邊,但由於他語帶郷音,「實力」説成「食力」,因此得名。(明報)