富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-10-11

十月十一日(火)雨模様。畏友T君寓所のバルコニーはガーデニングが見事で今朝も通りがかりで「きれいに花が咲いてゐる」と思つたが通りすぎたころに「あれっ?」と驚き引き返すと、まぁ見事に青天白日旗の小旗が……自宅でこヽまで出来る勇気に感動覚ゆ。どこの国旗掲げようと思想表現の自由のはずだが確か公共の場所に青天白日旗をば掲げるのは理屈上は他のどんなポスターや旗と同じく違法だらう(実際には通常は法輪功も許容されるくらゐ、かなり緩いのだが)。自宅のバルコニーなら確かに取り締まられるやうなことはないはず。夕方、小腹が空き北角の十三座牛雑で牛臓物を一串。かつて長蛇の列もたかだか牛雑の一串HK$9では客足もだいぶ遠のいた感あり。久々にトラムに乗り$2.3に驚く。自動車修理工場街の徒花、ハーバーグランドホテルの最上階バーに独酌。絶景で静か。給仕も上品。マネージャーが丁寧にこのバーレストランの評価をお尋ねしてもいいか?と。率直にコメント申し上げる。いつ大雨になるか恐れつゝ北角電気道の横丁にある協盛大排檔。T女史、N姐とZ嬢とで路上で火鍋囲む。かなりの賑はい。たかだか火鍋だが湯底がかなり美味。サンミゲルの麦酒小姐が西湾河街市の熱食中心や二記海鮮だとか見た顔だつたのでサンミゲル大いに飲む。向こうもアタシらを覚へてゐた様子。やたらとサービス良し。麦酒飲んだだけなのに礼を言はれる。N姐がヴィクトリア公園にある菩提樹がとても見事で霊験すら感じるほど、と仰るので食後、雨の合間縫つて夜のヴィクトリア公園漫歩。文藝春秋十一月号読了。
▼(文藝春秋十一月号で)宇野元首相の神楽坂芸者醜聞、サンデー毎日のスクープだが当時の関係者がこれがたんに妾ならあそこまで報道したか、問題視したか、明らかに買春だつたから問題、と。妾に月の生活費払ふのと何が違つたのか、アタシにはよくわからないが当の女性がイヤなのに無理矢理、その地位とカネで強引に迫つた、首相になつたらまるで知らぬ顔。それで告発してやらう、と思つたといふのだから、やはり宇野が悪い。これを読んで思つたが、もし宇野があんな短期政権にならなかつたら竹下君の思惑通り宇野は適当に辞任して安倍シニアが首相に。次は宮澤なのは確かとして安倍がまぁ順調に任期務めれば喜一ちゃんの首相就任が遅れたわけで、すると細川の殿のタイミングがどうなつたか。選挙制度改革もそれにより違つたはず……で小泉が首相になつたりその後の政権交代までかなり大きな流れの違ひがあつただらう。
▼陶傑さんが昨日の蘋果日報に「日本輿辛亥革命」といふ一文を寄される(こちら、十二日まで三篇連続)。陶傑らしい歴史観で中国近代の始まりと浮かれる辛亥革命もなぜ日本が支持したのか、国父とされる孫中山売国奴的な手口がなかつたか、と、かなり手厳しい。
▼神谷町逝去に因み成駒屋話。五代目は千駄ヶ谷の屋敷で長男の五世福助と妻相次ぎ亡くし家相嫌つたか高輪に転居、翌年逝去。晩年は舞台減り千駄ヶ谷の豪邸処分は多分に台所事情もあり、と芝居通のT君。五代目の次男たる藤雄さんは所帯もち高輪を出て高輪は五世福助の妻とその息子の真紀雄の二人所帯。この真紀雄が後の芝翫。で今ではもう誰も明るくないだらう藤雄さん、つまり大成駒は築地、川崎、空襲で被災して海老名、杉並の天沼、宇田川町、つる子夫人他界で岡本町と確かそんなんが六世歌右衛門の転居歴、とこんなこと知るのは今更T君くらゐ。で真紀雄君のちに五世歌右衛門の本名「榮次郎」に改名したが流石に大成駒の命日に供花はいつも真紀雄の名だつた由。

文藝春秋 2011年 11月号 [雑誌]

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