富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

双十節。神谷町の逝去。

fookpaktsuen2011-10-10

十月十日(月)曇。双十節。かつては国民党の青天白日旗が尖沙咀から旺角まで彌敦道にかなり目立つたもの。旺角のKCR沿ひに九十年代の前半まで珠海書院(大同中學)といふ国民党系の学校があり双十節には実に華々しく祝つてゐたが今はこの学校は屯門に移転した由(こちら)。双十節はどうしてゐるのかしら。夕方に雨。風も強し。ジムに往くつもりが予定変更で帰宅してドライマティーニ。本日、来年版の「ほぼ日」手帳が届く。実は初めて使ふ「ほぼ日」手帳。三月に地震後の片付けに帰省したとき成田に戻る途中、筑波研究学園都市のLoftで「ほぼ日」手にとり「これがあのほゞ日か」と思つた程度だつたがそれから半年、何だか気持ちが内省的になり「なんでもない日」が実は大切な一日一日なんだ、みたいな実に糸井重里的な幸せ感をばしみ/\と感じてしまふ今日この頃。地震のあとだからか、年をとつた証左か……よくわからぬがタイムシステム携え闊歩するほど時代の勢ひもなくファイロファクスのシステム手帳使ふほどシステマティックでなくなり(何よりも日程やアドレス帳が完ぺきにMobile Meで蘋果化してしまつた所為だが)この2年ほどMoleskineの手帖をばけっこう気に入つて使つてみて、かなり生理的に合ふ気がするし極細の万年筆のインクが染みず滲まずかなりいゝのだが、どうしても右頁の罫線が上手く使へずイラ/\。イラ/\といへば何年ぶりか、で奥平イラ氏のサイトを見たら当時は全く更新されてゐなかつたのが元気になつてゐた(こちら)。80年代末、イラさんのオフィスが恵比寿にあつてイラさんはスマートに自転車で広尾まで打合せに来られてゐた。さっそく来年の手帖にいろ/\書き込んでゐて気がついたのだが親しくした方や祖父母や先考など命日が十二月から三月に圧倒的に集中してゐる。本当に寒いときに亡くなる方が多いのだ、と認識。今晩も牛蒡煮、山芋に麦飯と味噌汁といふ軽めの夕食。これでとても幸せ。いたゞきもので山形は鶴岡、清川屋のだだちゃ豆(枝豆)使つた菓子「だだっ子」美味。文藝春秋11月号読む。立花隆の巻頭エッセイが面白くないのがやはり気になる。村山富市氏語るに首相就任悩むときに背中押した一言はフランキー堺佐藤昭への恋文披露された田中角栄は独特の崩し字だが歴代首相のなかでもなか/\美しい字……いや、一字一字でなく手紙の文章としてきれいにお書きになつてゐる。昭の娘の佐藤あつ子女史が公開承諾した手紙だがあつ子女史もオヤジの直筆が読みづらく立花隆は自分は角栄の崩し字に慣れてゐるので読めた、と書いてゐるが、この程度の字が難読といふくらゐ誰彼も直筆が不慣れな時代になつたのかしら。
▼香港各紙によれば江澤民は確かに一時、周囲が話しかけても反応しない程かなり昏迷に近い状態にあり死期が近いのではないかと思はれたが、その後、体調持ち直し今回ついに記念式典に参加にまで回復の由。江澤民復活で香港の次期行政長官選挙は俄然、上海閥の唐英年が有利に、といふ話。何だか小沢一郎の状況如何で一関市長選挙を語るが如し。
中村芝翫逝去。アタシのこの人の印象は菅原伝授手習鑑の戸浪忠臣蔵の戸無瀬になつてゐる日比谷線に「神谷町」があるんで今も神谷町なんだと思つてゐたら正しくは芝神谷町は今は虎ノ門5丁目。でも「虎ノ門!」とは声はかけられないですしね。黒門町の師匠を「上野一丁目」とは呼べない。神谷町!といふくらゐだからたいそうなお邸か、と思つたらGoogle Mapで覗いたらけっこう地味。どうも成駒屋といふと神谷町の父である五代目(歌右衛門)の千駄ヶ谷の三千坪といはれた屋敷や大成駒の岡本町の邸宅をば想像しがち。ちなみに千駄ヶ谷といふと今でも外苑西通りから山手線までかなり広大な広さがあるが五代目の当時は更に今の代々木1〜2丁目(小田急線の南新宿駅界隈)までが(なにせ住宅地に開墾されるまでは野っ原だつた)千駄ヶ谷で五代目の邸宅も今でいへば代々木2丁目(代ゼミ本部校の高層ビルが聳へるあたり?)。アタシは五代目の屋敷が千駄ヶ谷といふので国立能楽堂のあたりを勝手に想像してゐたが戸板康二先生が幼いころに住んでゐた代々木山谷町が五代目の「千駄ヶ谷町に隣接」といふのを何かで読んで、代々木に「荒川でもないのに山谷小といふ小学校がある」のは自転車乗りしてゐて知つてゐたのでかつての代々木山谷町の位置から戦前の地図で見たら当時の千駄ヶ谷町の広さに驚いた次第。五代目は調べると昭和十四年に更に芝区車町(現在の高輪)に転居。その翌年に五代目が亡くなり、そこから大旦那が岡本町へ、芝翫がが神谷町へどう分家したのか、そのへんは久が原のT君が詳しいところかしら。
▼大阪の平松邦夫市長が「大阪は独裁・橋下知事に屈しない」と文藝春秋に手記。書かれてゐることは真っ当。アタシも平松市長指支持したい、がこの常識が橋下の非常識に負けてしまふのが現実なのかしら。橋下如き非常識一人が怖いのではなく何より怖いのが大阪府民が橋下の非常識に賭けようとしてゐる非常識。