富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

満州事変から八十年

fookpaktsuen2011-09-18

九月十八日(日)晴。どぜう首相は終日、議員宿舎で過ごすなかアタシは終日出先仕事。慣れない立ち仕事。アタシの最近の「お気に」はコンビニの立ち飲みでブンイレでルービーをぐい/\飲んでゐたら後ろから顔見知りの中学生に「こんにちは」と挨拶されコンビニでの立ち飲みはやはり恥ずかしい。子どものころにお遣ひで酒屋に行くと酒屋が「あら、不思議」で帳場の横あたりに立ち飲みになつてゐてヤキの回つたオヤジたちがかわきもの肴に昼間から気付けの一杯を呷つてゐたが今でも酒屋の立ち飲みってあるのかしら。仙台に住んでゐたころ酒、当時は無鑑査一の蔵ばかり、を買つてゐた酒屋で突然、この立ち飲みスペースがなくなつて主人の話では「できなくなった」といふので非合法なのか、とずつと思つてゐたが戦争中の配給制で立ち飲みも必然的になくなつただけで昭和廿四年に酒類販売の自由化で合法らしい。仙台の酒屋の「できなくなった」は酒を卸してゐる周囲の飲み屋からの苦情だつたのかしら、などと今でも思ひ出しては推測してゐる。疲れて夕食済ませ二更になるまえに就寝。
▼今日は満州事変から八十年。中国では九一八事変で記念式典あり。反日は抑へ代はりに中共による帝国主義的侵略から祖国解放が強調された由。アタシが柳条湖を訪れたのは1985年だつたかしら。柳条溝が正確には柳条湖なのだ、といふのが指摘されてまだ数年くらゐのころ。バックパッカーのアタシは瀋陽から「たぶんそっち方面」行きのバスに乗るのだが、とにかく瀋陽の宿屋など筆談で尋ねても誰も柳条湖がどこか知らず。路線バスを下りたら集落もない畑と雑木林のなかに農家が点在するやうな場所で、たまに遭う人民をつかまへては道を尋ね、ようやく線路際で(張作霖が爆破されたのが此処なのだらうが)草むらのなかに混凝土造りのモニュメント見つける。それだけ。記念館も何もなかつた場所で拍子抜け。「よく、こんなところに来たな」と近くの農民に驚かれたが、当時はまだ五十歳くらゐだと日本語を話す人民少なからずいろ/\昔のことを聞き瀋陽に戻るバスを待てゐた。それがなんと……なんだこの発展はっ!と驚く都市化(こちら)。あの草地が四半世紀で……。