富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

李澤厚の「告別辛亥革命」

fookpaktsuen2011-09-17

九月十七日(土)晴。朝、五粁だけ走る。風はだいぶ秋めいたが日がさすとまだ/\暑い。午後、銅鑼湾で用事すませ中環。FCCのバーはラ式蹴球でまだ世界盃?テレビ観戦に盛り上がる酔客たちの中で文芸春秋十月号続き読む。菊池寛は嫌ひだが文芸春秋はやはり面白い雑誌だと思ふ。「噂の真相」の次くらゐ。新聞はかなり読まなくなり週刊誌の類ひもエコノミスト誌くらゐでアトは殆ど読まぬが文芸春秋はいかにも「この雑誌じゃないと」といふ記事多し。なぜかといへば「文藝春秋だったら」で語る著名人が多いから、なのだらう。たヾ巻頭は立花隆はかつての阿川弘之ほど面白くない。それにしても中島みゆきの父が入江侍従長の妻・君子と再従兄妹(はとこ)で相政さんの姪が三笠宮妃殿下なのだから中島みゆき三笠宮が繋がることになるとは。野球など全く興味ないアタシが気づいたら「江川の投じた最速の一球」(二宮清純)なんて読み耽つて慌てヽ夕食に帰宅。
蘋果日報で中国歴史哲学の奇才・李澤厚の「告別辛亥革命」といふ長文インタビュー(こちら)面白く読む。李澤厚(zh.wikipedia.org/wiki/李泽厚)は日本ではあまり知られていないが一言でいへば「中国の小室直樹」かしら。辛亥革命にあたり李先生曰く「辛亥革命がなかったら中国の立憲政治はもっと早く実現していただろう」と。清末期に法制整備に取り組んだが法制整備に時間要し、その間に革命党の勢ひ強まり清朝は滅亡。で革命と軍閥政治の混乱に陥つた、と李先生。慈禧太后西太后、1835〜1908)についてのは「慈禧があと十年早く亡くなつてゐたら清朝で近代的法政が始まつてゐただらうし十年長生きすれば辛亥革命は起きなかつた」と。前者がわかり易いのは清末に改革派たる変法派とそれに共鳴した光緒帝に対して(袁世凱の裏切りもあり)西太后が垂簾聴政で君臨、後者は西太后が存命であれば袁世凱が国民党につくはずもなく、といふ具合。かうした偶然が大局を左右する歴史の面白さ。いずれにせよ革命は社会正義や平等といつた評価すべき点もあるが社会混乱や破壊で対価が大きすぎる、として辛亥革命の歴史的意義=過大評価をば否定。詳しくはインタビューご覧あれ。結果的に婉曲的な中共の必然性的なる革命史観の否定がそこに。さらに歴史の必然性をば否定するが必然的なのは経済発展のみ、とじつに古典的マルクス主義があつて更に面白い。