富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

楊春江君の舞踏の前座に朴星吉君

fookpaktsuen2011-09-11

九月十一日(日)晴。五粁走る。今日が競馬今季開幕日。香港行政長官杯は例年通り嫌はれ者の文革曽現れず八一八の香港大百周年騒動で「ゴミ」発言で呆れられた政務司の唐英年来臨。アタシは神様仏様ホワイト様でホワイト騎乗のリッチユニコーンに今季の希望託したがドイル騎手のジョイアンドファンが優勝。デレック=クルーズ調教師は三年連続でこの開幕日記念制覇の由。サイマルキャストで阪神のセントウルSはダッシャーゴーゴーからエーシンヴァーゴウテイエムオオタカに流し結果、3、1、5着。香港馬の天九が2着と健闘。天后の華姐清湯腩で腩粉食してから官邸に往き一つ用事済ませ湾仔。演芸学院。Z嬢から弾んだ声で「いま、どこ?」と。演芸学院のシアターのまえでロビーホール見下ろすZ嬢がアタシの目の前に。「早く、早く!」と急かされロビー見下ろすと、そこに天才ピアニストの朴星吉君。この演芸学院の学生なので此処にゐるのは珍しくないのだが、うーん、今日も素敵なコスチューム。全身黒つくめ。大屋政子風に脹よかな体型をマント風の上着で隠しモチ/\の太腿だが足首の細さ、で「どこで買ったの?」と唖然とするローカットの可愛らし黒の厚底のブーツ……。六月のリサイタルで遭遇した母親は同じ格好でパステルカラーに村上隆風ヴィトンであつたが息子はAlexander McQueenがお気にださうで今日の黒つくめは昔のヨージヤマモト風(写真が撮れてゐないのでせめてデッサンで)。最高にイケてゐる。さう/\、今日は星吉君を拝みに来たんぢゃなくてDaniel Yeung(楊春江)君の舞踏“Dan's Exhibitionist a Dance by Daniel Yeung”(灵灵性性─ 天體樂園)である。新聞のインタビューなど読むと楊春江も、もう44歳で身体は確実に老けて昔と同じやうに飛んだり跳ねたりは出来ず自分の踊りとは何なのか?を省みて今後の踊りを創造するなかで自分が1999年に(29歳で舞踏をオランダで学び香港に戻つた翌年)香港で初めて発表した独自の独舞作品が「灵灵性性─ 天體樂園」で今回はそれをモチーフに、さらにそのときに用いた自身の映像を重ねて(右上の写真でいへば左が12年前で右が現在)今回は彼らしい映像駆使した舞踏に挑むといふ。44歳の彼の筋力の限界的な全裸での舞踏から始まり床に敷いてあつた巨大な布が吊り上げられ舞者は布の中でまるで母胎の中に育つ胎児のやう。そこから世に放たれ12年前の映像に現実の彼が被り舞踏が進む。相変わらず映像、照明と舞台となる劇場の構造をば見事に取り入れての踊り。最後は布に乗り客席の上に宙に浮き終幕。アタシはこの舞者の舞台をこの十年、同時代的に全て見てこられた。もつと作品を海外でも、と思ふが小屋の特性を限界まで活かし、寧ろ発表する小屋を特定してから作り込むところもあり何処でも彼処でも、は難しいのかしら。バスで天后。阿龍咖喱。帰宅して九一一の十年記念の追悼を中継で眺める。
朝日新聞東日本大震災6ヶ月特集。茨城の取手や阿見町など霞ヶ浦の南に(それと栃木の群馬県境もだが)福島第一から160km離れてゐても飛び地のようにセシウム蓄積量多い地域あり。三月十四日深夜から未明にかけての放射線雲が通過が原因だとか。で十五日、アタシはこの日、成田に着き利根川を渡りまさに取手と阿見町の間の竜ヶ崎、牛久を抜け筑波研究学園都市に辿り着きたり。そして晩のあの雨。なるほどさういふところにゐたのか。
▼十年前の九月十一日の日記読み返す。アタシはWTCに一機目が突撃し炎上するビルの場面からCNNを見てゐる。

タワーリングインフェルノの映画が現実かと悪寒走るが超高層ビルの危険性はすでに明白なる事実にて磯崎新東京都庁コンペにて丹下的バベルの塔建築にアンチテーゼとして森の中に点在せし箱を提示し見解が何を意図したかとこの画面を眺めながら今さらながら思い、その時点にてはまだ映画にて夜空を背景に燃えるタワーリングインフェルノはこの現実に青空を背景に燃える摩天楼なる映像的美(ビル内での火災のパニックに対して反面にある風景としての美、である)のように描けなかった点がやはり空想の世界の限界かなどとテレビ画面を眺めていたが(しかしサンダーバードはよく晴天での巨大ビルや飛行機のパニックを設定していた)二機目の飛行機が突っ込むを見て計画的テロと合点す。CNN、BBCなどが事実、事件背景などに執り犠牲者の安否など敢えて時間をとらぬのに対しNHKは犠牲者の安否、日系企業の状況など人道的なるは対象的。少なくてもマンハッタンが閉鎖され通信網も遮断されている状況において事故から数時間のうちに何も具体的個別情報は入るわけもなく、一定の時間が過ぎるまでは敢えて安否語りの「大丈夫でしょうか……」は避けるべき。BBC英国放送協会ながら国際放送であり「英国人の犠牲者は」とできぬは当然だが。惨劇から数時間してお決まりのようにフロリダからAir Force Oneにて戻りし大統領の"Hunt down and punish" the attackers なる強いアメリカの声明を聞きテレビを消したり。取っ捉まえてトッチメてやるぜぇ!ではまるで銭形平次だが帝国には銭形のぉの温情はなし。その征伐にまた新たなるテロが生まれるものなり。

NHKなど日本の報道機関の災害報道が湾岸戦争の頃からこの九一一、そして東日本大震災まで「安否を気遣ふ」のは伝統なのかしら。テロの復讐合戦恐れてゐるアタシだがこの十年はまさにそれ。翌十二日の記述。

布殊総統「これはテロに非ず戦争行為にて、我々の自由、家族、平和を奪いし者を許すわけにはいかず我々は断固として……」と述べるがパレスチナにしてみれば自らの平和な生活を突然蹂躙され土地を奪われ自由を奪われ家族が殺されその加害者自らが今度は報復を受け何を言わんやと思うものなり。テロは悲惨にて巻き込まれし被害者は救われぬものながら何故にあそこまで大規模壮絶絶まりなき攻撃をしかけたかといえばあれはキチガイに非ずしてパレスチナのこれまでの悲劇の大きさをアメリカ国民に対して等価で見せたこと。アメリカ国民にとってあれほどの悲劇なら、それと同じくらいの悲劇がパレスチナにもありき、なる表現か。ああでもして見せぬことにはわからぬという理論かと思うが、国家なるものはそれを理解するものに非ずして報復措置をとるばかり。

翌十三日には築地のH君と啄木の「ココアのひと匙」を読んでゐる。

われは知る、テロリストの
かなしき心を……
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を……
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。        1911.6.15 TOKYO

「テロを讃美はせぬがテロリストはキチガイにあらずテロリストを何故そこまで悲しき選択に追い込んだのかの原因を考えることはそれがまさに人の道なり。」……なんてアタシは講じてゐるが米国なんて「そのテロリストをそこまで悲しき選択に追い込んだのか」なんてこの十年全くお勉強も出来てゐない。この啄木がテロリストを詠つてから百年経つてゐる。