富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ペナン、ジョージタウン

fookpaktsuen2011-08-11

八月十一日(木)列車は順調にマレー半島に向け南下してゐるようで夜中に寝台で日乗上網したあとは白河夜船でアタシはふだんは睡眠中の異音には神経質なのだが列車の軋音は昔から平気で列車に揺られ熟睡。夜明け。バンコクの空港で贖つた40時間使い放題のマイクロSIMカードは40時間を過ぎた今もまだ使へる。車内は冷凍貨物車の如し。防風着、ストールを首に巻きブランケットに包まる始末。この東南アジアの冷房狂ひは国連決議か何かで地球温暖化防止のために是正するべき。早朝から高木仁三郎原発事故はなぜくりかえされるのか」(岩波新書)読む。十両編成の列車はタイ南部の観光都市ハートヤイで後ろ半分が切り離され(つまり最後尾の一等車はハートヤイまで)食堂車から前五両が南に向かふ。朝八時過ぎに越境。車両は国境で食堂車など遺りディーゼル機関車に引かれた前二両だけがButterworthに向かふ。Padang Besarで国境越えの乗客は二十名いるかしら。国境の駅に一時間半ほど停車。貨物はそれなり鉄道でも動いてゐるが隣のトラック輸送の往来の頻繁さには比べものにならず。マレー半島西のこの幹線鉄道も複線化の工事は確かに用地買収は終わり工事が始まつてはゐるが遅々として進まぬやう。中途半端にやるなら、すでに陸路は高速道路、バスが主流なのだし中国のやうに国策でいきなり高速鉄道にてもした方がマシかも。マレーシアに入つてからも一時間ほど使へたSIMもご臨終。もしまだタイにゐたら延々と使へたかも。午後イチにバターワース着。ほぼ定刻通り。ペナンに渡る要所でマレー鉄道の終着駅の拠点。風情ある駅舎をば期待したが立て替へ?で工事現場にプレハブの待合室が一つ。線路が無ければ駅だとは思へず。香港港湾の貨物ターミナルに向かふやうな殺風景のなか長い歩道橋渡りフェリー乗り場へ。十八年ぶり?のマレーシアで何枚かあつたRM1の硬貨がすでに使へず。George Townに渡り島内のバス交通Rapid Penangの観光客用7日有効のパス購入。タクシーでE&O Hotel、下榻。Gerge Town Suiteなる市街向いた套間。広さ79平米といふがもつと広いと思ふのは香港がデタラメで此処が実用面積100%だからなのかしら。それにしても広すぎ。昨日午後からの鉄道旅のあとなので先づシャワー。洗濯。午後遅くバーでドライマティーニ独酌。サマセット=モームの世界のはずだがホテルもバーの緩さ、バーテンダーの緊張の無さ、は香港のペニンスラにせよ今更驚きもせず。おまけに音楽が五月蝿すぎ。バーテンダーが酒を飲まないのか、酒に弱いのか、すつかり氷が溶けドライマティーニの水割り供される。麦酒か、ウイスキーなど注いでそのまヽ、あるいは変な色のカクテル以外、つまりオーソドックスなカクテルなんてホテルのバーで注文してはいけないらしい。とくにアジアは言はずもがな日本と、それと豪州の高級ホテルのバーを除けば。まだ強烈な日ざしのなかZ嬢と出街。一先づ旧市街を歩いて散策。すでに旅行案内の地図がイメージにあり地図なしでも散策は容易。旧市街が世界遺産になつたはいヽが、これがマカオほど観光名所になるような建築物があるでもなく、規模的にはベトナムホイアンくらゐ小さければ遺産で残しても良かろうが、この規模の旧市街を残したところで実質的には観光客がぶらつく以外に死んでしまつた街区で(バンコクの旧市街のチャイナタウンも開発から取り残されたが、まだ旧態依然で商業は盛ん)、あたしは慣れてはゐるが下水の悪臭、あちこち走り回るドブネズミが目立つ。これからどうするのかしら。従来の商業と居住は周辺化して、E&O Hotelのあたりもさうなのだが、結局のところ観光客相手に飲食店は飲屋街になる蘭桂坊化だけ。チェンマイの状況に近いがチェンマイの方がまだ集客力がある。印度人街だけはやたら賑やか。印度人街近くの福建系の食堂に夕餉済ましLbh. Chuliaあたりの安宿街を漫歩。印度人営む古本屋に絵葉書購ふ。旅に出る前に足穂も読みたいと思つてゐたが龍彦もあつたらなぁと昨日、曼谷で紀伊国屋に行こうか、だうしようかと思つてゐたのだが、この古本屋にちくまの日本文学全集文庫の龍彦あり。一先ず寝て夜中に起きて読もう。でコンビニで調達のマレーのブランデー「マルタンゴールド」飲み早々に臥床。それが夜中に目覚めちまつたのはホテル向かいの歓楽街のディスコサウンド。まんじりともせぬまヽこの印度チックなディスコティックなサウンドが延々と朝の四時半まで。ラマダンのときは夜中は騒いでいヽのかしら。イスラムは戒律の徹底を、ぜひ。朝の三時頃にバトラーといふ名の実はフロントに電話すると「申し訳ございません。明日は金曜でもつと煩いでしょう」と(笑)。部屋を海側の套間に移ることも出来ますので、と。結局、ディスコ閉店は朝の四時半。明朝って数時間後だが、にフロントで苦情言つても相手も慣れたもので慇懃無礼に扱はれると癪なので四時半にフロントに往くと何も言ふ前から「申し訳ございません」と。すでに部屋の手配はしたのですが空室でも生憎、前のお客様が退出したまヽになつてをり今すぐにでも移つてゐたヾきたいのですがメイドの出勤が八時過ぎなので、と当直のマネージャー。しつかり頼みますよ、と命じ、それにしても市街のホテルなのだからホテル向かひの歓楽街も最近の開発のやうで、それなら窓を二重の防音にするなりしないと、と苦言呈すと今、すでに順番に取りかかつてはゐるのですが、水曜日から週末は煩うござゐまして、と平謝り。こつちは安息のためにホテルに泊まるわけで、それも高級といひ張るのだから払つたぶんは言ひたひことをいはせてもらはないと。市街もホテルも古ければいヽといふものではない。と思つたら朝五時すぎにまたディスコ音楽が……30分の休憩だつたのか。キチガイである。爆弾でも仕掛けたい。
高木仁三郎原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)。311のあとこれほど注目された本もないわけで今更あたしがあれこれ綴る言を要すまひ。原発問題に携わつた著者が十年以上前に亡くなる前に、すでに日本の原発産業と行政は「末期症状」と断定してゐたのが311のような惨禍で現実になろうとは。この著作、もつと専門的な記述か、と勝手に思つてゐたが内容は日本社会の無責任について。殊に第4章で技術を鎌倉時代に仏像彫つた仏師についてで語るのは白眉。「責任のなさ」についてアカウンタビリティーという語が何度も出てきて「説明」があつてもこの意識に「責任」が不在と著者が指摘。日本語にアカウンタビリティーに当たる言葉がない、とおっしゃってゐるが、これはアタシは香港の「問責制」といふ語が適切と思ふ。

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)