富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

読売新聞より冨田大介撮影

八月七日(日)午後まで官邸にて机に凭りお仕事。北角碼頭で活蝦購ひ帰宅。晩まで読書。いや/\暑い。アブサント、バーボンをソーダ割りで珍しく氷入りで飲む。今では「国歌」と呼ばれる「君が代」、川口和也「君が代の履歴書」(批評社)によればもと/\貫之の時代は無念にも亡くなつた故人への挽歌が「さざれ石の巌となりて」が陽具、また「岩ほと成りてなら「ほと」が陰具と艶歌、戯れ歌、将軍家の祝ひ歌といふ変遷を経て明治初期に余りに偶然から下級役人の判断で英国皇子来日に合わせ急きょ日本のHymn(当時「国歌」なる語すら無し)となり、それがだういふ変遷で国歌となるか、が著者は反「君が代」といふ背景ありとて、それを除いても貫之の頃からのこの「君が代」といふ歌の歴史書としても甚だ興味深き著作。そんないはゆる曰く付きの歌を国歌として荘厳なる場で、スポーツ興行の開会式とメダル授与で、殊に教育の場で入学式、卒業式に一同起立で神妙に歌ふとは巫山戯てゐるとしか思へぬところ。それ真面でやらざるを得ぬ、これは悲劇か、喜劇か。この本、解放社会学会の?と広島修道大の河口和也教授と一瞬、勘違ひ。自家製の枸杞酒で酒蒸しにした蝦、サラダ、浅蜊のパスタで夕餉。智利のCasa Marín、09年のSauv Blを飲む。NHKスペシャルのシリーズ東日本大震災「東北 夏祭り 〜鎮魂と絆と〜」見る。夕暮れのなか陸前高田の壊滅した旧市街を引かれてゆく山車は「沿道に多くの見物客が……」が全くないのだが(なにせ廃墟)これを番組のゲストの玄侑宗久師が七夕はもと/\お盆と一つの流れにあるわけで(盂蘭盆会の一周前の棚幡)お盆に帰つてくる先祖の霊が、殊に最近亡くなつて未だ行き場のない霊が彷徨ふなかで七夕の山車の灯りが目印となり……と、まさにその通り。その数がこの町だけで数千人といふのだから。祭りが形式化、商業化してゆくなかであらためて本来の祭りの根源を思ひ知らされる。小学生のときに青森、弘前のねふたを見たあと、十和田の田舎で真っ暗な中を集落から集落へと引かれてゆくねふたの山車を見たときの光景を何十年ぶりか、で思ひ出す。

「君が代」の履歴書 (シリーズ教育直語)

「君が代」の履歴書 (シリーズ教育直語)