富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

辜鴻銘「中国人の精神」について

fookpaktsuen2011-08-02

八月二日(火)晴。猛暑ながら湿度が58%と香港にしてはカラっと。風もありトラムや日陰では心地よし。こゝまで盛夏だと熱い茶か、あるいは麦酒か冷えた白葡萄酒でも嘗めながら読書に限る。本日さら/\と二冊に目を通す。いずれも香港大学図書館よりの借出し。佐藤春夫荷風雑感」(昭和22年、国立書院)。春夫さんといふ荷風に陶酔する人が書いてゐる荷風論はあまりに好き、好きの連続でそれ以上、以下のもの全くなし。荷風は良くも悪しくも花柳小説、でよいのではないかしら。教養ある趣味人の厭世的なあの生き方が興味深いのであり作品をそれほどに誉める必要もアタシには感じられず。「濹東綺譚は現代日本にもまだ芸術が残つてゐたかといふありがたい感激をしみじみと味はせる名作である」といはれても、ねぇ。文庫本で何度も読んだがまだ手放せず書棚にあつて数年に一度、ふと読み返したくなる散人らしき初老紳士の燃へぬ情話、って位置でいゝと思ふのだが。も一冊は辜鴻銘の“The Spirit of the Chinese People”(1922年、The Commercial Press, Peking)。第一次世界大戦時の欧州に対して東洋に中華民国成立にあたり支那人がだういふ者か、といふことを好意的に紹介、といへばいゝのかしら。古来、宗教にも勝る儒孔の教へあり(Confucianism teaches a man to be a good citizen)で、欧米の近代主義中華民国の成立を待つまでもなく文明化されたmoral forceなのであり〼、と。

  • The Chinese people in Confucius's time found themselves with an immense system of institutions, established facts, accredited dogmas, customs, laws in fact, an immense system of society and civilization which had come down to them from their generated ancestors.

これを欧米の知識人が読み成る程、支那の民はじつは文明化されてゐて近代国家成立は強靭な力となるのでありませうな、と納得したのかしら。かうした理念が知識人的には当然としても民度としてどこまで社会化されてゐるか、は疑問の余地がかなりあるが英仏とて同じこと。少なくても東洋には東洋の偉大なる文明があるのです、と欧米に教へるだけでも歴史的意義ある書物であつたもの。ところで歴史的にも貴重な書物にかなり書き込みあり本来、とても困ることだが数多くの誤植の訂正に始まり重要な箇所への線引きなど実に確かで感心するほど、だつたが港大図書館で貸出しされるのは複製で原書は同図書館のSpecial Rare Collectionにあり。手続き踏み特別閲覧室で原書も手にしてみたが、この第二版が発行された1922年にHankow Clubといふ、おそらく当時の武漢にあつた英国系倶楽部の図書館の蔵書でそれを後に香港大学が入手して蔵書としたもの。見事な筆書きで見返しに
 鴻銘氏辜湯生著「原華」 梁敦彦題
と書かれてゐるが辜鴻銘(湯生は英語名Thomsonの漢字名)のこの著作に清末の政治家(外務大臣を務め、最後は交通部など牛耳った)梁敦彦がこの本に「原華」と漢題をつけた由。ちなみに原著はhttp://openlibrary.org/でもトロント大学蔵のもの閲覧可(こちら)。
▼辜鴻銘(Ku Hung Ming、1857〜1927)ペナン生まれ。父は福建出身でゴム農園の管理人、母は葡萄牙人。10歳でゴム農場の主人に伴はれスコットランドに渡り独逸留学を経てエジンバラ大学で西洋文学専攻。ライプツィヒ大学で土木工学、巴里大学で法学を学び中国各語、マレー語の他に英独、仏伊などラテン語系諸語も自由に操る英才。1880年にペナンに戻り植民地政府の公僕となつたが中華に傾倒し1885年に北京へ。清末の大政治家・張之洞の外語秘書を20年務め、その間に論語、中庸、大学など英訳。1908年の宣統帝即位で外交部侍郎に任命され1910年には上海の南洋公学(現在の上海交通大学)監督。辛亥革命後公職去り1915年より北京大学(蔡元培が学長)で英文学の教授。五四運動のさなか蔡元培学長免職で、それに抗議し北大教授を辞任。1924年から27年まで日本に旅居。帰国の翌年に逝去。(以上、ヰキより)
▼昨日の信報に独逸より關愚謙氏が溫州車禍につき被害者救援なかつたことばかり伝へられてゐるが*1溫州日報の報道によれば当地で数十名の村民が民間救助隊組織し事故の車両から乗客を救出、500台のタクシーや自家用車が現場に急行し負傷した乗客を病院に運び数多くの市民が献血に応じた、と。ことに80後、90後の若者がかうした活動に積極的に加はつたことも好事、と關先生。
▼本日の信報・林行止専欄が王光亜・港澳辦主任の香港公務員批判につき反論。
港澳辦主任把香港公務員的身份與政治任命官員的角色混為一談,那是無心之失還是指桑罵槐?筆者不擬亂猜,反正他的這番話,聽在部分港人耳裏,是極不得體、極為失禮,真是大錯特錯,尤其是當着莘莘學子面前的批評,猶如家族企業的族長當着職員面前申斥接班的後輩,後者情何以堪,王主任可要好好想一想!王光亞主任曾在英國精英大學LSE深造,說過香港是一本難讀的書,好像他要好好研讀,令港人好生欣慰;其上任後不久便訪港,又比他的前任樂於面對群眾,使人錯覺地憧憬他會在處理香港事務上較前主任廖暉通達高明,豈料一出手便露底,一次講話便暴露了這位京官與香港人文風景的差距與疏離。
と。確かに香港の公務員の公僕性とaccountabilityにて任命される官員との差異。また民主主義社会での公務員の中立性、求められた職務、職責への徹底と、一党独裁での官員のリスク?も大きな違ひあり、それが中共官僚には理解できぬところ加茂。

*1:付近の住民は金属探知機片手に地中に埋められた車両の残骸より貴金属発掘なんて報道もあり。