富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-07-28

七月二十八日(木)早晩に銅鑼湾。バーBに独酌。ドライマティーニ。先週だかの「飲食男女」誌のウヰスキー特集に出てゐましたね、といふとご亭主曰く取材も打診も無しの完ぺきに抜き打ちでやられた由。取材拒否の突撃は珍しくないが、それを隠しまるで取材したやうに編集したのが呆れつゝ見事。鵝頸橋の街市。八百物購ふZ嬢と合流。鵝頸橋街市の清真恵記は夕餉はやつてをらぬし、と湾仔道の印度料理・石崗咖喱餐庁久々に訪れてみたら已に結業。Queen's Rd Eastまで漫ろ歩き大龍鳳に麦酒飲み毎度のことながら北方餃子源。朝日新聞の「「フェミニズムの先駆者」に誇り 退職の上野千鶴子が特別講義」といふ記事こちらで震災の影響で退職最終講義逸した上野先生の特別講義「生き延びるための思想」で見るこちら。もうこんな女性学の研究者は現れないだらう。昨日まで日本で読んでゐた前川直哉「男の絆」(筑摩書房)読了。築地のH君に勧められた一冊。(前置きとして)「鶏姦」といふ語彙から何か極端に視覚的に「鶏姦」をば想像してしまひ何故これが男色を指すのか、で「鶏姦」から性行為のどこか具体的な姿勢を想像しがちだらう。が実はそれが明らかに「想像のし過ぎ」で「男を以て女と為す」で「田」冠の下に「女」と書く「ケイ」の当て字が「鶏」だといふ。閑話休題で灘高で歴史を教へるこの前川さんの分析で興味深いのは明治の頃の学生に流行つた男色はその後の近代の同性愛とは異なる、といふ見方。旧制の中学や高校で先輩が若く可愛い後輩を可愛がるやうな(ある面、希臘的だが)肉体的だけでなく精神的、思想的にも親密さが含まれた明治のそれと異なり「同性愛」なる観念が生まれたことで女性同士の性的な行為や年齢差に関係ない同性間の欲望が含まれるやうになつた、と。その「男の絆」には自身が同性愛者であるといふ認識も同性愛の概念もなかつた、といふ。そのへんから同性愛という概念が生まれてからの近代、そしてホモフォビアの形成を面白く分析してをられる。
▼昨日、銀座の教文館で手にとつた雑誌「ぴあ」の最終号。十代後半、あたしにとつては必需の雑誌。堀切菖蒲園の映画館で当時、人気絶頂だつた桃井かおりのデビュー映画「エロスは甘き香り」の再上映が「限りなく透明に近いブルー」「エーゲ海に捧ぐ」との三本五百円で見られたのも、渋谷ジャンジャンで淡谷のり子先生のライブ日程もアングラ演劇も「ぴあ」がなければ逸してゐたわけで、大久保あたりで怪しげな好事家相手の見せ物や陰気なものが、ずらり。授業中は「はみだし」読むには格好。その「ぴあ」がメジャーになるにつれ怪しげなマイナー情報がどん/\削られ体裁が横組になつた頃から、そしてチケットぴあのサービス開始(1984年)あたりから次第にあたしは「ぴあ」から離れたが最終号は永久保存版で青春の記憶で買おうか、と思つたが大半が80年代後半からのアタシの知らないエンタメ業界の記憶で眺めてお終ひ。Z嬢も上野駅の書店でさうだつたといふ。この最終号には創刊号の復刻版が付録についてゐて、それは見たかつたが袋とじ。今日届いた新潮社「考える人」のメールマガジンで、この「ぴあ」について書かれてゐる。創刊号は1万部印刷して8千部売れ残り。89店の書店が取り次ぎ通さぬ直販で置いてくれ宣伝は一切なし。で2千部売つたのだから1店平均で22.5冊は健闘。その直販に応じた89店舗についての逸話。孫引きになるが「ぴあ」の矢内氏が大恩人と慕ふのが教文館書店の社長、故・中村義治氏、でその葬儀(2004年12月27日)での矢内氏の弔辞(以下、孫引き)。

大学四年の時に仲間と「ぴあ」を創刊した私は、出版業界のことなど何もわからず、本を作れば書店に置いていただけるものと思っていました。しかし、お願いした書店にはことごとく断られ途方に暮れていた時、いくつもの偶然が重なって、紀伊國屋書店の故・田辺茂一社長から中村さんをご紹介いただいたのです。
サンプルを見せながらたどたどしく説明する私の話を中村さんは黙って聞き、やがて「やめたほうがいい。素人の学生には無理だよ。」と仰いました。それでも必死に説得する私に、最後には「どこの書店に置きたいのか、リストを出しなさい。」と言ってくださいました。すぐに仲間の待っている下宿に戻り、徹夜で約百店の書店をリストアップして持っていくと、「明日来なさい。」と言われました。翌日また訪ねると、デスクの上に封筒を山積みにして待っていてくださいました。「これを持って回り直しなさい。」と言われ中を見ると、手書きの署名と実印が押された書店への紹介状が入っていました。感激のあまり、お礼の言葉もちゃんと言えたのかどうかわかりません。翌日から一度断られた書店にその紹介状を持って回り直すと、「しょうがないな、中村さんか…。」と言いながらも、八十九店ものお店が「ぴあ」を置いてくださったのです。まさに、中村さんの紹介状があって初めて「ぴあ」は世に出ることができたのです。

と。その教文館ならでは、で最終号を手にとれただけでもあたしの記憶になろう。
▼国務院港澳弁主任の王光亞、上京の香港大学生らに接見の場で香港の公務員を「欠缺長遠規劃、不懂如何當家作主做 “master(主人)”」 と指摘。中央が目指した官僚治港の失敗、批判の矛先は施政が続けて失誤の文革曾かしら。王光亞の積極的な香港特区政治への介入に批判もあり。陳方安生女史は香港の公務員は元来、優秀であつたが政治的中立が保てず1997年以降に問責性の導入などで士気低下、批判されるべきは中央政府だらう、と。

男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで (双書Zero)

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