富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

深圳博物館 特区建設から已経三十年

fookpaktsuen2011-06-30

六月卅日(木)雨模様。深圳に往く。MTRで上水から一等車に担ぎ屋さんが多く乗り込み何事か、と思へば電子部品など(安物は羅湖站のトイレなどで、ですが)高級な密輸品をカバンからジャケットのポケットに移すなど作業のため。へぇ、と感心。それにしても車内で検札の車掌と「早晨〜!」と顔見知りで挨拶とは。午後遅く深圳博物館(公式)見学。茘枝公園の湖畔の博物館は旧館となり自然史専門館となり一昨年に市民中心に開館の新館が民俗と歴史、改革開放史の歴史博物館となり本日ようやく新館参観。古代端折つて民俗博をさらりと流し近代へ。当然だが英国による香港占領までは広東の珠江河口の農村地帯なわけで香港の歴博に比べ中国側から英国による侵略の視線で新界割譲のあと深圳にも英国が領地広げようとした戦為の史料あり興味深いところ。また当時の境界や沙頭角の中英街のジオラマや展示も見事。その後は日本による広東から香港の侵略、抗日運動、共産主義運動の始まりと続く。改革開放史が主と思つたが近代史に力点が置かれ視点が偏つてをらず立派。改革開放史も当然、かなり力の入つて展示。四人組失脚から鄧小平復活、十一期三中全会、経済特区建設決定と知つての通りだが深圳での土地借地権の競売開始の扱いが大きく興味深いところ。アタシが深圳を初めて訪れたといふか香港から広州への列車の乗り換へが1985年。まだ市街地開発が続くなか国貿大厦が特区の象徴のやうに聳へ立つてゐたが、この国貿の建立が前年の1984年。羅湖は香港からの口岸大樓はあつたが深圳火車站はまだ外賓候車室のあつた小さな驛舎で当時の写真懐かしく眺める。92年の鄧小平南巡での深圳訪問は当然最も扱い大きく鄧小平が視察に使つた御料車、といつてもトヨタコースターなのだが実物の展示あり。これには驚いた。この頃いまは超高層ビル立ち並ぶ福田のあたりも赤土掘り起こしての土木作業中。それが今日は二月以来?の深圳だつたのだが地下鉄が思いつきり拡充していて、これもまた驚いた。ここは深圳なのだ、と思はないと大して香港と違はないのは地下鉄が港鐵(MTR)の運営で今では制服から站のアナウンスまで同じだから。マスコミの統制など除けばシンガポールもさうだが本当に不自由感じない。ただ見たいものが見られないのがアタシには最大の不自由なのでけして生活できないのだが。地下鉄の龍華線で福田口岸に下り落馬洲より香港に戻る。晩に自宅で軽くタイ飯。